Novel

1話

 商店街の裏側で自分は窮地に追いやられていた。授業サボってごめんなさい。そんな謝罪はかすんで消えていく。数人のこれはまさにという風体の不良たちは集団でオレを追い詰めて笑っている。
「……っげっほ」
 なんの宣言もなく、みぞおちに入った膝の衝撃に懺悔は吹っ飛び現実に戻された。足から力が抜けて立っていられないがそれは相手によって阻まれる。倒れるかわりに壁に押し付けられて宙吊り状態になった。息が詰まって苦しい。
「なにみてんだ、つってんの」
 後方でニヤニヤ笑いする集団より、手を下している首謀に苛立ちが募る。はっきりいって自分はなにもしていない。平日の昼過ぎに商店街をぶらついていただけだった。商店街のパトロールをしている警官を見かけて、路地裏に入ったところ出くわしたのだ。集団に派手なピアスが目を引いた一人は顔に大きなピアスをしていたのでおもわず凝視してしまったのだ。目が合ってそのまま今にいたる。残念ながら、オレが見かけた警官たちは自分に気づかず通り過ぎていってしまったようだった。
「だって、曲がったら……いたじゃんかっ」
 主張は聞く気のない彼らには届かない。よっぽど気にくわなかったらしいのか、首根っこをさらに絞められ自分からカエルをひねったような声がする。耳に周囲の笑い声が聞こえた。よっぽど間抜けな体勢になっているらしい。惨めだが、どうすることもできない。が、内心ははらわたが煮えくり返っていた。なんで絡まれなきゃいけないんだ。なにもしてないのに。
「こん、なトコにいなきゃいい……だろ」
 苦し紛れに毒づいてやると、ためらいなく頬をはたかれた。しゃべっている最中それは見事なぐらい素早い挙動で歯を食いしばる暇もなく叩かれ、口の中に嫌な味が滲む。くそう。という声は口がもごついただけで音にならなかった。周囲の笑い声は消えて逆に殺気立った。しまった。本気で怯えた。ただ顔にだけは出さないようにする。
「店裏で騒いで欲しくないんだけどなあ」
 個人的にのっぴきならない状況の中でものすごく場違いな声が聞こえて瞬間的に苛立つ。こちらは腹を殴られて口まで切っているのだ。あいかわらず首根っこを掴まれて吊りあげられていて呼吸がうまくできない。
「うっせ、あっちい……」
 だれかがなにかをいおうとして口を噤んだ。息を飲むような声がする。口を閉ざした理由がなんなのかさっぱりわからない。仰向くようにむりやり吊りあげられていて空しかみえないのだ。その上、殴られたやらで目の前がくらくらしている。声が遠い。やばい、意識が遠のきかけている。
「おっさんそれ本気でやってるのか」
「本気というか、ここ最近この姿だよ」
 それが意識の中で聞こえた最後の言葉だった。

 ほのかな甘い香りが充満している。見覚えのない天井に横を向くと額から濡れていただろう生乾きのタオルが落ちてきた。
「あれ? どこ」
 一瞬、家に帰ってきたのかと思った。だが、落ちたタオルを手にとって改めて様子を窺うとそこは見知らぬ部屋だった。ただ、掴まれて絡まれていたのは事実のようで、のどが痛い。
「いって」
 体中、そこかしこが痛い。なんだかありとあらゆるところにアザがありそうで確かめるのは怖かった。ゆっくりと身を起こしてあたりをみまわし、様子を窺う。畳敷きの狭い部屋だった。物も簡素で生活感がない。机と小さな棚。それぐらいしかなく小物も露出はない。うちとは大違いで感心する。そんな部屋を巡り見て、あきっぱなしの戸口を見つけた。なにやら、物音と人の気配がして、這いずっていく。覗いた先をみて驚いた。さまざまな花が種類別に並べられて置いてある。壁の一部にはガラスケースもみえて、異次元みたいな空間だった。
「これか」
 甘い香りのもとはここからだったのだ。と妙に納得してぼんやり眺めていると、その中の一部がオレに気づいたのか動いた。金髪にピンクのエプロンなど着ていたので分からなかった。
「お、起きた?」
 絡まれていたときに最後に聞こえた声と同じだった。覚えてないが身に覚えのある以上の外傷はないということは意識を失ったあとはなにもされなかったようだ。彼がどうにかしたのだろう。
 なにか作業をしてごそついている彼に、とりあえず、四つんばいの姿はやばいと身を正して正座する。エプロンで手を拭いているそんな姿を眺めつつ、よっぽど腕が立つか、強面なのかと面立ちを想像した。
「鼻眼鏡かよ!!」
 おもわず持っていたタオルを投げつけた。綺麗にまっすぐ飛んで顔面にあたる。びじゃっと、重苦しい音がした。男は微動だにせず呆然としているようだ。表情が分からないのでなんともいない。
「……いちおう、絡まれていたのを助けたんだからさ」
 呆れたようなもの言いで慌てた。あまりの姿に反射的にツッコミをいれてしまったが、やはり助けてくれたのは彼らしい、ものすごく納得がいかないが、恩人であることがわかるとタオルを投げつけるのは軽率だったかもしれない。
「あー……す、みません……でしたぁ……」
「なんとなしに納得しにくいなあ。別にいいけどね」
 表情自体が間抜けな鼻眼鏡のせいでまったく分からず、本気にとっていいのか分からなかった。なんとなく居心地が悪く、改めて今度は頭を下げた。間抜けな風貌だからといって、適当なのもどうかと考え直したのだ。
「助けてくれたのはありがとうございます。マジで危なかったし」
「まあ、この件に懲りて、授業をサボるの止めなよ」
 とどめを刺すような言葉に言葉が詰まった。本当に後悔していたところだからなにをいわれても仕方がないのだが、間抜けな風貌の人間にいわれると腹が立つ。
「……いろいろあるんだよ」
 鼻眼鏡は手を休めることなく、ちょっと前まで弄っていたであろうリボンや包装紙を綺麗に片づけ、切り取って散らばった床をてきぱきと手近にあった箒でまとめていた。ゴミ類はすべてそれように設置してあるのか空いたバケツにいれている。ぼんやりつぶやいたオレの一言は聞こえていないようだった。ほっとした半面、そのいろいろの中身を思いだして憂鬱になる。ため息がでた。
「まあ、しばらく居るといいよ。殴られただろ」
 空のバケツを持ち上げながら、鼻眼鏡が笑う。口元だけは覆われていないので笑っているのは分かるのだが、付け鼻のせいでしょうもない顔にしかみえなかった。なにかいってやろうかと思ったが、その気が失せたので止める。ため息混じりに戸口の近くに壁に背を預けて居座りを決め込むと、絡まれたときに放りっぱなしだったカバンを傍らに置かれた。
「それ、彼らが置いていったから君のかなと思って持ってきたんだけど」
 カバンを漁る。ケータイに財布とおおむね無事だ。所持金は悲しい程度しかないがそれも一円たりとも減っていなかった。まあ、金目的のカツアゲではなかったからオレの荷物なんてどうでもよかったのだろう。腹いせに盗られていたらことだった。親父に知れたら大事である。
「あーよかった」
 ひと通り中身を確認してほっとする。結局そのまま寝そべってくつろいだ。いまさら学校へ帰って下手にみつかりでもしたら説教だろう、絡まれたあげくそんなことになったら面倒だし、家に帰るのはなんとなく嫌だった。鼻眼鏡はそんなオレの姿にすこし目を留めていたがそのまま作業を続けだす。床掃除に花の手入れをしていてなんだか忙しない。
「……なんで鼻眼鏡?」
 客が頻繁にくるものかと少々様子を見ていたが、通りを映すガラス戸からは通る姿はあれど、入ってくる気配はない。鼻眼鏡も客が気になったようだがその閑古鳥っぷりにあきらめてレジ台の傍に据えてある椅子に座った。眼鏡は外さない。素なんだろうか。そんな考えが浮かぶ。
「……まさか日頃からそれ?」
 鼻眼鏡はついっと高い鼻を天井に向け考えるように顎に手を置いて首を傾げた。なんだかアクションがオーバー気味なのは表情がみえないのを考慮してなのか地なのか判断できない。
「視力が悪いから、ないと困る」
「……普通の眼鏡でいいじゃねえか!」
 おもわず身を起こしてツッコミをいれてしまった。慌てて口を紡ぐが遅い。あれだ。なにか理由があって顔を隠すとかなんかあるのだろう。と思いを巡らすがどういう理由があれば、鼻眼鏡をチョイスするのか答えは出なかった。
「気にしなーい、気に入っているんだ顔が隠れるから」
「変な奴」
 普通、接客業であの姿は批判ものだろう。鼻眼鏡はその姿のままなにかに気づいたのかそのまま店へでていく。表は商店街らしい、通りに置いた植木をすこし片づけているようで、通りがかりのおばさんたちに挨拶している。相手はほとんど半笑いだ。半笑いだが咎めるような感じはない。馴染んでいる様にものすごい地元の方向性が気になったが気にしたところでどうなるわけでもないと考えを捨てた。学生一人が変な人一人を咎めたところでなにもいないだろう。
 植木を片づけた横を大きなトラックが通りすがり、鼻眼鏡は避けた植木鉢を結局室内に持ってきた。空いている床に直置きし、一枚ずつ葉の様子を見ている。いちおう、仕事はしっかりしている。
「なあ、鼻眼鏡」
 呼びかけてしばらくの無反応のあと、とうの鼻眼鏡が自分を指さして首を傾げてきた。それにうなずいて呼びかけた相手はおまえだと知らせる。というか鼻眼鏡といったらおまえしかおるまい。
「なに少年」
 やり返されたような返事に言い返そうと思ったが止めた。そういや、名乗ってなかった気がする。寝そべっているのを止めて、もそもそ立ちあがると壁に背を預けて寄りかかるように座った。
「あーっと、外、だれもいない?」
「ん? ああ、あの不良? 表には居なかったから帰るならだいじょうぶだと思う」
 ほっとして小さく肩の力を抜いた。二度も同じような目には遭いたくない。時間を見ながら出ていく頃合いを計った。もうすこしいれば放課後といる時間になる。そうすればとりあえず、警官は怖くない。晩飯の準備もあるし、そこそこの時間で出ていったほうがいいだろう。
「もうちょっとしたら、出てく。ここの表は駅前の商店街であってる?」
「うん。商店街の交差点寄りだね。駅に行くなら店先出て右にいけばいい。地元の子?」
 驚いた。だいたい制服で近所を歩けば、あそこの学校。といわれるぐらいは地元に馴染んでいる高校だ。悪びれた連中もそこそこ、普通の生徒もそこそこの、いたって普通。遊ぶスポットの少ない地元でこの商店街は定番の遊び場になっている。小さいながらもゲーセンもあるし商店街を抜けた先にはデパートがあるので、たまり場にしたり、遊んだりと利用率が高い。その中で商売をしていてこの高校を知らないのは希だった。
「なんだ。鼻眼鏡、ここが地元じゃないのか」
「そうだね。出身はここじゃないよ。越してきたのは三ヶ月ぐらい前」
「ふーん。どうりで見たことないと思った。この制服、地元の高校な。あとオレは翔平っていうの」
 首を傾げるようにして鼻眼鏡はこちらを向いた。いちおう制服の形を覚えておこうというのか、顔がささやかに上下に振れた。自分もつられて鼻眼鏡を眺めた。顔につけているもの以外は、いたって普通にみえる。そんな風に眺めているうちに、どこからともなく軽い鈴の音がした。店先に顔を覗き込むと小さな壁掛け時計が三時半を差していた。
「ん、帰る」
「どっか痛いとかあるのなら、無理せず病院いけよ」
「うん」
 帳簿から目を離さず、店先の土間に降りるオレに意外と親切なことをいってくる鼻眼鏡に軽く返事を返して靴を履く。畳部屋に放り出していたバッグを手に取った。
「なんか事情があるの?」
 よくみたら帳簿と目を突きあわせてものすごい格好で書き込んでいる。付け鼻があきらかに邪魔でみえないのだろう。顔を傾けて妙に懸命だ。そこまでして外すさないのはなんでなのだろうか。
「え、なにが?」
 ようやく帳簿から顔を上げて鼻眼鏡が首を傾げた。ついでに傾いた眼鏡を直している。やっぱり表情が伺えない。変に真正面を向いてきたので露骨におかしかった。
「い、いや。鼻眼鏡なんて、なんか事情があるのかと」
 さすがにどんな事情があれば、間抜けな姿で日常をおくるはめになるのか想像ができないが、あまりにもナチュラルな行動っぷりにもしかしたら切実な事情があるのかと思った。たとえば、一度つけたら外せない、呪われた鼻眼鏡とか。
「……とある事情で、ナゾの外国人として生活しなければいけなくて……」
「ナゾである理由がわからん……つーか、鼻眼鏡なんか、つけても外人にはならねえだろ……」
 本気か本気じゃないかわからない調子で物語るその理由にあきれはてる。だいたい、日常生活で鼻眼鏡をしても不審者にはみえても、外国人には見てくれないだろう。本人は鼻眼鏡姿が怪しいということはあまり感じていないようだ。
「ま、いいや。帰る」
 変な奴。助けてもらった義理はあれど。そんな感想しか浮かばなかった。