所要人物データ

物語の主役を飾る人間・妖怪たちのデータです。

孫 悟空

出身:東海神州敖来国花果山 別名:孫行者、斉天大聖、美猴王、孫大聖、金、金公、火、心火、心猿、心君、心神

不老不死を会得した石猿。天界の神様とらくらくと渡り歩ける強さを持ってる。
七十二の変化術とキント雲の術を会得し、一万三千五百斤(8.1トン)もの如意金箍棒を操り、さまざまな妖怪と渡りあう。
ナタ三太子(ナタク)、恵岸行者(木叉)も打ち負かし、二郎真君とも戦った。文字通り煮ても焼いても叩いても死なない彼だが、 結局、釈迦如来に捕まり、五行山に封じられてしまう。
この後は、取経僧を求めて旅をしていた観音菩薩の目にとまり仏教に帰依し、三蔵法師の弟子になることを誓いその後、 旅をしていた三蔵に封印をといてもらい弟子となり、取経の手伝いをすることになる。
実力もさることながら、天界にいたときの付き合いで諸神の知り合いが多く、 行く手を阻む妖怪たちを退治するために、力を貸してもらったりする。

悟空がつけている頭の飾りは『緊箍』といって、もとは紫色の頭巾だった。旅をしている途中に会った夜盗を殺してしまった件で、 一人きりになった三蔵の元に現れた老婆から衣装と一緒にもらったもの。東海龍王に諭されて戻ってきた悟空が装着した際、三蔵に締め付ける呪である「緊箍呪」を唱えられてしまいのたうち回った際に、布であった部分は破いてしまった。
この老婆は観世音菩薩の変化した姿である。箍はもともと釈迦如来から観世音菩薩が貰った物で、金・禁・緊の三つの金輪がセットになっていた。ほか二つは、紅孩児、黒大王に使用されている。

彼の材源は、さまざまでインドの古典「ラーマーヤーナ」で活躍する。猿王スグリーヴァの大臣、ハヌマーン(ハヌマンとかもいう)や ある高僧に仕えたサルだともいわれる。いろいろな説があつまって、悟空は生まれたというのが研究者の大体の結論のようだ。
ハヌマーンというのは、山の神様とか空の神様といわれて神様で、無限に長い尾をもっている。猿軍の英雄のことである。

悟空の外見モデルはアカゲザルであり、小学生向けの動物図鑑などでは『金絲猴(きんしこう)』( 学名:シシバナザル)とされているが、
『金絲猴』であるといわれているのは、悟空にそっくりの妖怪『六耳ジ猴』(ろくじびこう)の方である。

悟空と言う名前の人も実在した。車悟空(しゃ・ごくう)と言う僧で、俗名は、車奉朝(しゃ・ほうちょう)
751年に西域に行き、ガンダーラで出家してインド各地を巡拝して帰国したという人物である。
何人かの学者が、これに関して孫悟空のモデルになったのではという論評を発したが、中野美代子氏が名前としてのモデルが、車悟空であったとしても孫悟空というキャラクターはさまざまな神や逸話、信仰が絡んで生まれたもので、これといって簡単に限定できるものではない。と新聞で語ったそうだ。

猪 八戒

出身:福陵山雲桟洞 別名:猪悟能、猪剛リョウ、天蓬元師、木、木龍、木母、水、肝木

ブタの妖怪。
もともとは天界で天の川の治水管理とその水軍の大将である天蓬元師。あるとき酒に酔って月の姫、嫦娥(じょうが)にセクハラして下界へと落とされてしまう。 落とされたときに間違えてブタの胎内に入ってしまい。ブタの妖怪となってしまった。三蔵一行、唯一の既婚者。どれも入り婿という形をとっている。

最初に婿に入ったのは、卯二姐(うにそ)と言う女性。彼女の死去、その財産を受け継いで、人を喰らって暮らしていた。
そこに、取経の適任者を探していた観世音菩薩に見つけられ、仏門に帰依し、何時かくる取経の僧のお供になることを誓うこととなる。

八戒の名前の由来は、観世音菩薩に見つけられ、仏門に帰依する際に仏教、道教などで禁止された食べ物である。五葷(ごくん)、三厭(さんえん)を断つという約束をしたため、 その八つの戒めを守れるようにと観世音菩薩に命名された。
五葷とはネギ・にんにく・にら・らっきょう・あさつきの5種類の野菜、三厭は肉・鳥・魚の3種類の肉のこと。

三蔵との出会いは、烏斯蔵国の国境近くの大きな家の三姉妹の末娘の婿としてで、最初のころは、よく働き酒やなまぐさはやらない良い人として婿に入ったが、だんだんと怠けるようになり、妖怪の本性を表した。
あげくに、風を起こして娘のところに来て、娘を隠し半年もあわせないので父親は心配になり、この妖怪を退治してくれる法師を呼び、召使に迎えに行かせたところでたまたま通った三蔵と悟空を見つけて、事の次第を説明し悟空立ちに助けてもらう。
娘に化けた悟空にだまされ、がんばったものの悟空に惨敗し、三蔵とともに旅をすることになる。
彼の性格は、嫌われるか面白がられるかのどちらかが多い。女好きで、怠け好きの大喰らい。嘘つきの弱いもの苛めはすると、とことん三枚目な役どころ。
だが八戒を主人公とする作品もありそれなりの人気はあるようだ。

八戒の材源は、さまざまであり、中国人はブタの家畜化を成し遂げた民族であるとされているくらい、彼らの生活に密着した家畜であった。そのため、多くのブタの民間伝説、怪異譚があり。
これが、八戒の発生する下地となったとされる。
外見はイノシシではなく、家畜である豚である。中国の方の豚は黒豚なので八戒は黒い豚なのだ。猪はいのししと日本語で読むが、中国では豚を意味する。
古い中国戯曲では、猪八戒が摩利支天(マーリーチー)の部下、御車将軍であったと言う設定ものがある。
摩利支天(マーリーチー)はインドの神。イノシシあるいは、ブタの背に乗っているとされ、そこから八戒の説がきたと推測される。密教の猪頭人身の神、金剛面天。
インドの猪頭女神ヴァジュラ・ヴァラーヒー、十二神将の中の亥神への信仰、そして開路神などが加わって、八戒を形づくり、その全身も御車将軍から天蓬元師に置き換えられて、現行の西遊記の中の猪八戒に発展していった。

沙 悟浄

出身:流砂河 別名:沙和尚、沙僧、捲簾大将、土、二土、土母、脾土、刀圭、黄婆

流砂精(かわのせい)の妖怪。日本で言われる『河童』というのは日本特有の間違い。河童は日本原産で、中国などにはいない妖怪である。 登場が、流砂河という河だったため、水の妖怪である河童と一緒くたにされてしまったものと思われる。本来のモチーフは、イルカだワニだといわれているが定かではない。

もともとは、天上界で雲霄殿(うんしょうでん)に捲簾大将(けんれんだいしょう)として天帝に仕えていたが、蟠桃会(ばんとうえ)でガラスの杯を壊してしまい下界に追放、一週間に一度天界から降ってくる剣の責めと飢えに苦しんでいるところを
取経の適任者探しの旅をしていた観世音菩薩によって救われ帰依する。

正体ははっきりしなく、物語中でも最初の登場は華々しかったもののそれ以降は目立たない。
それは、西遊記に潜む数字神秘の中で、2より3の方がよく、無理やり作ったものであるからとも言われているが定かではない。 容姿も詳しく記述がない。赤目の赤髪で頭頂部に毛がなく、顔は青黒いと不気味なもの。赤髪は玄奘三蔵に帰依するときに剃ったため、取経の旅のときは剃髪(丸坊主)である。

『大唐三蔵取経詩話』では深沙神と言う名で登場。彼の持つ九つの頭蓋骨は、同じように前世で取経の旅に出た三蔵法師のもので、諭されて旅をする彼らを金で作った橋で沙河を通すのを助けたというエピソードが載っている。ただし、この話では彼はついては行かず、三蔵一行を見送るだけに留まる。
沙悟浄の前神である深沙神は、民間仏教信仰の中で、毘沙門天の化身と考えられている。
『大慈恩寺三蔵法師伝』では、同じように沙河で倒れた三蔵法師を励ましに出てくるキャラクタがいるのだが、それは毘沙門天の化身である。
このエピソード、毘沙門天などから、沙悟浄がうまれたとされている。
目立たないキャラクターだが、八戒や悟空の間を取り持ったり、玄奘三蔵の護衛役をしたりとほそぼそと活躍。縁の下の力持ち。 『大唐三蔵取経詩話』で登場する深沙神は、縁結びの神様であるため、仲を取り持つというバランスを保つためのキャラクタとなっているようである。 深沙神こと、深沙王は、岐阜の横蔵寺などに像が伝わっている。

三蔵法師

出身:なし(金山寺?) 別名:陳玄奘 幼名:江流児

徳が高いが人間味が溢れる人間であり、仏門に名を置く僧侶である。ドラマでは女性の方がよく役柄を勤める。ちょっと頼りない印象が強い。
前世は、金蝉子という名の釈迦如来の二の弟子。が、師の教えを聞き入れなかったため下界に落とされ、転生させられる。
生まれてから諸事情で川に流されてしまう。これは岩波文庫では語られないため、割愛させていただく。西遊記(岩波文庫)の中では凡人(ただの人)として掛かれている。
しっかりとした眼をもち、いわゆる人生の達人である悟空の言うことを聞かず、八戒の嘘を鵜呑みにして悟空を破門したり、円からでなければ妖怪はこない、と悟空に術を施してもらったにもかかわらずその術を施した円から出て捕まってしまったりする。

西梁女国という国にある子母河の水を飲み、妊娠してしまったとき「中絶したい」といったり、結構な坊主とは思えない発言がある。
だが、血で穢れた宝塔(宝を保管していた塔)を掃除して回ったというエピソードもある。

実在した三蔵法師とは、宗旨は大乗仏教。法相宗と倶舎宗の開祖で、日本の仏教学者さんや僧侶さんたちはこの人が漢訳した仏典を読んでいる。
容姿や性格はいつも質素な木綿の白衣をまとって、背の高い眉目秀麗な偉丈夫とされていて、常に冷静で、自分に厳しく人には寛大。西遊記の三蔵とはまったく違う出来た人。
麟徳元年(664年)2月5日太宗の離宮であった玉華寺で大往生された。六十三歳。誕生日の方は、生まれた年が何説かあり、定かではない。遺骨が運ばれて、日本にも彼の墓は存在する。実際に彼が西域から運んだものは仏舎利、仏像も存在する。
『お経』は520夾(きょう)、657部。『大唐西域記』を著し、持ってきた経の翻訳に後半生をささげた。埼玉県岩槻市慈恩寺に三蔵法師の遺骨が存在している。

玉龍

出身:なし 別名:白馬、龍馬、龍馬三太子、小龍

元々は、西海龍王の第三太子であったが、父の殿中で火事を起こし、宝珠を焼失してしまい激怒した父が玉帝に告訴し死罪を言い渡されて天空につるされていた。
そこを取経の適任者探しをしていた観世音菩薩によって取経僧の乗り物になることを条件に救われた。

しかし、長い間谷川の底でで待っていたせいか、三蔵一行をそうとは知らずに襲ってしまい三蔵の乗っていた白馬を丸飲みしてしまう。
観世音菩薩の計らいにより白馬に変えもらい、三蔵一行と旅をすることになる。
ほとんど龍としての役目は存在しない。一度だけ、悟空は破門、八戒は行方すれず、悟浄はとらわれ、三蔵は虎に変えられてしまった時だけ、龍に戻り女官に化けて妖怪たちと渡り合った。

玉龍の正体について知っているのは悟空のみで、悟空は弼馬温だったことがあったため馬の扱いには慣れていてとても大事に扱って貰えている。
龍の無力さについては東海龍王の項でも語っているが、龍の道具を奪った悟空によって、力の移行が行われている存在なので龍王の息子である玉龍の龍としての活躍がほぼないのは当然である。