プルトニウムファイルを読みました。
- 2013/04/11 21:45
- カテゴリー:読書
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読みました。 福島の原発の事故とか反原発とか、そういったことに対してつよい意見はもってません。 今、私は煌々とした明かりの下でパソコンを使ってこの文章を書いてるというのもあります。 逆に、計画停電の区域内で長い間、仕事もままならず。家も暗闇で過ごした。そういう経験も一応してます。
正直言って、あの生活を一生しろ。というのはムリです。
読むきっかけはそれもあったわけですが。これは切り離して読んだ方がいいという印象かな。 なにせ、舞台はアメリカ、戦前から、戦後にかけて されていたことは、直接注射したり、飲ませてる。危険致死量の把握もどれだけ危険かも分かっていない。 (分かっていても目をつぶっていた)そんな状況です。 作中ありますが、今は、核実験後の世界です。 核爆弾のウランと原子力に使うウランの濃度は違います。 これだけを読んで、福島の一件と直線で結びつけるには、安直といわざるを得ません。 ただ、考える指針としての一つの材料とはなるかもしれません。
これの本質は、ほらやっぱり危ないものだ! というものではなくて、 知識や教養があるべき人間が危険性と有能性を同じぐらい持っている未知のものをどう扱うか。 その中で、史上最悪の包丁の危ない使い方みたいなものではないかなと自分は捉えました。
下手な犯罪集団より怖い。軍が荷担し、国が荷担し、愚にもつかない成果にもならない発想だけの名ばかりの実験に、何も知らない一般人がただそこにいた。 ってだけで選別されて知らないうちに毒を体内に入れさせられている。 死体になってすら、マッドサイエンティスト集団にとっては試料でしかない。
食べ物に混ぜ、飲み物に混ぜ、明確な基準も、ルールもなし。 発想とチャンス、それだけで人間を材料に行うにしては手に余るものだよね。 後半につれてもう、国から降りてくるお金を消化するための何かでしかなかった。 という印象が強くなります。そこがまた、胸くそは悪い。
公開と謝罪と訴訟の嵐だったようですが、そういったものが尻つぼみになっていったところは さすがに福島原発の事故当時とかぶります。
福島原発の事故は考えなきゃ行けない事例のひとつではあるし。 報道のあり方も問われるところが多いです。 今もデマや過剰反応は多い。 意見が様々でることは当たり前ですが、見極めて、知ることを恐れず。 しっかり考えておきたいです。
ちょっと馬鹿でよかったわー。見失いたくはナイわーっておもった。