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貧血持ちのヴァンパイア

 私はヴァンパイアだ。貧血持ちの。そして今日もまた倒れた。放浪の末にたどり着いた日本の地で数百年。その間に人の血を吸ったことがゼロなワケではないが。どうも体質らしい。ヴァンパイアで貧血持ち、人としてなら良いかもしれないが。ヴァンパイアでこの体質は情けない。
「だいじょうぶ?」
「はい……すいません。いつも」
 心配そうに聞いてくるパートの同僚、柿崎さんに視線を動かし、寝転がったまま頭を下げた。寝ころんだバックヤードにあるスタッフルームの硬いソファが私の動きに軋んだ音を立てる。

 ああ、柿崎さんはかわいいなぁ。今年40歳になるバツイチの人妻だけど。本人は20代だと言い張るのでそう思うことにしている。確かに若く見えるし、気さくで優しい。さらに仕事はできる。パート仲間としてもいい人で、女性としても魅力的で、まあ、簡単にいえば、自分は彼女が好きなんである。特に鎖骨からうなじに掛けてが40代とは思えないほど美しい。ただし、これを解ってくれる人はいない。
「尾田くんはそんなに身体丈夫じゃないんだから、気をつけなきゃ」
 尾田とは私のとりあえずの名前だ。容姿はいくらでもごまかせるのでそう名乗っている。本来の名前を使うとバイトでも採用率が下がってしまう。長年、日本で生きてきての経験の知識、日本名はなるべく平凡に。
 ヴァンパイアである故に、やっぱり日光に弱い。くわえて貧血も持っているので、日中は外に出られない。このところ温暖化だと環境破壊をうたうこと然りで、日差しが冬でも強くなっている。人間たちには些細な違いでしかわからないようだが、私にはかなりの影響が出ている。もう、活動できるのは夕方から日の出前までになってしまった。もっぱらフリーターよろしく、夜バイトで食いつないでる。
「今日はもう、上がってイイよ。あと数分で上がる時間でしょうし、店長にはいっておくから。さっき深夜バイトの林くんが早めに出てくれる電話で言ってくれたし」
 情けなさにため息がでた。このところ倒れる回数が増えている。そろそろ、人の血を吸わないと身体がダメになるだろう。しかし……。
「ほらほら、健康が一番なんだから、気分悪いときはすぐ養生! 立てる? 林くん来たら送っていってあげてもイイよ?」
 優しいなぁ……柿崎さん。ゆっくり身体をソファから起こし、笑んでる柿崎さんにお辞儀をする。横になっていたおかげでだいぶ身体は回復してきた。
「大丈夫です。家、近いし、か、柿崎さんを煩わせるのは悪いから……」
「無理しちゃダメよ?」
 ソファに座りながら、ぼーっとした気持ちで私は空を眺めていた。いかん、身体は起こせたがどうも本調子じゃない。深呼吸をして、血を巡らせる。そこへバックヤードと店をつなぐ扉がほんのり開いた。つるりとした頭の店長が顔を出す。
「ごめん! 柿崎さん、レジは入ってくれるか。宅急便頼んできた人がいて」
「あ、はい、今行きます。店長、尾田くん、帰してイイですよね」
「いいよー。明日も無理するな?」
 相当慌ててるのか、早口でまくし立て、店長は私の返事も待たずに顔を引っ込めた。柿崎さんが私と店の方を見比べる様に目線を動かす。
「行ってください。大丈夫ですから」
「無理しないで、立ち上がれるようになってから帰りなさいね」
 柿崎さんは私の頭に手を置いて、子供にするように髪をかき混ぜるように頭を撫でると手早く店へと出て行った。明るく元気な声で「いらっしゃいませー」というのが聞こえる。掻き撫でられた頭に柿崎さんの手の余韻が残る。一応、数百年生きてる訳なんだが。柿崎さんにとっては私は履歴書で偽った20代にしか見えないらしい。自分で頭を撫でて乱された髪を軽く直すと、もう一度深呼吸をして立ち上がった。

 ワンルーム畳敷きの6畳一間の部屋は、月3万ちょい。つぶれそうな2階建てのアパート。倒れるように敷きっぱなしの布団に転がると、私は盛大にため息をついた。身体が重い。眠くはないが、喉は渇いている。転がっていた飲みかけのミネラルウォーターのペットボトルを取ると一気にあおった。だが、渇きは癒えない。
「血が足らないなぁ……」
 狭苦しい部屋で、呟くが状況は変わらない。人間の病院に行っても治らないこの渇きをとりあえず癒せる方法はわかっている。私と似たように長い間生きている、人間ではないものに頼むのだ。なぜか、それは日本に多くいる。その中にはそういう人間じゃないものたちを癒すための技術や魔術を持っている輩もいて、それなりに支払いをすれば何とかしてくれるのだ。会うための手段はわかっている。ただ、支払う能力がない。
「光熱費、ケイタイ代……食費はゼロでもかまわないけど。あー、今月大丈夫かなああー」
 金銭面でも苦なのだが、人間ではないものが代金として欲しがるのは金ではないときがある。彼らは自分の興味や心を満たしてくれる『なにか』が代金として成り立つ事が多い。……私は何にも持っていない。以前はあった。金銀財宝とか名誉だとか地位だとか。けれど、国を追われたときにすべて捨てた。まさか、唐草の風呂敷に包んでいくわけにもいかなかったのだ。というわけで、そういう相手に助けを乞うのは難しい。彼らは与えなければ助けてくれない。そういう存在だ。ちなみにそのツテに会いに行くには電車代がかなりかかる。今月は倒れた回数、早退した回数が結構あるので、ちときつい。
「人の血を吸えば……」
 結局、一番手っ取り早い方法はそれだ。けれど、今の私にはできない。そば殻の枕を引き寄せて顎を乗せる。ざらついた感触が気持ちいいなと感じながら目をつぶった。柿崎さんが頭に乗せた手の感触を思い出した。胸が苦しくなる。白木の杭を打ち込まれたらこんな感じで苦しいんだろうか。
 数百年。人を襲ってきた。主に女性、足らなければ子供、それもないなら、男性を。愛しげに近寄って、ゆっくりと喰らう。命を奪うまでは血を吸わず、数年をつかいゆっくりと喰らう。そのときは、愛おしい相手として自分なりに愛した。食材に愛を注ぐという言い方はおかしいかも知れないが、アレだ。畑の作物を大切に育てる感覚。
 今回は血を吸うことが先じゃなかった。好きになるのが先だった。人間に添いすぎたと誰かはいった。個人じゃなくて『人』という括りに情が移って、情けをかけるようになった。だから、人間なんかを本気で好きになるんだと。
「好きになってしまったからには……仕方ないじゃないか」
 小さく呟く、貧血持ちは百歩譲って、あってもいいから人間になりたい。私は人を襲えなくなった。怖いのだ。どこかで見られるんじゃないか、最初隠しおおせても、いつかバレるんじゃないか。バレたとき彼女はどう私を見るんだろう。それを考えると、私は自分の存在意義を嘘で上塗りして消してでも、人間でいたいと思う。嘘の塊の自分でいいから、親しい人であると見てもらいたい。恋人じゃなくてもいいから、せめて親しい友人でなければ、同じ仕事場の人程度でもいい。
「死に時かなぁ……」
 ぽつりと呟いて、それも嫌だと思ってしまう。このまま、人のように過ごせば私は枯渇して存在を失う。太陽の下へ出て散歩でもすれば、いい感じで干物になれる。けれど、それも嫌だった。
だって、柿崎さんに会えなくなるじゃないか!
 思考が腐ってきた。考えすぎて頭が痛い。現状、自分は危ないのに生きながらえる手段も、死ぬ手段も決断を下せないでいる。長く生きてきた癖に何にも答えが得られないとは情けない。何を考えて生きてきたんだ自分。
 髪の毛を掻き乱した。柿崎さんの小さくて老いても女性らしい手とは違う遠慮のない自分の手が空しい。冷たい手は、柿崎さんのほんのりと温かい手とは違う。空しさが倍増しただけだった。投げやりに身を放り出し、仰向けになった。力いっぱい目をつぶる。どんなに強く目をつぶっても棺桶の中のように暗くはない。高かった遮光カーテンからですら、ほんのりとどこからかの光が瞼に感じられる。だけれど、その淡い光は僕にとっては痛くもない人工の光だった。
 ああ、主よ。私をお救い下さい。ヴァンパイアだけれど、そう願わずにいられなかった。