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獣が探すもの

 倒れた女の腹に包丁を突き立て男はその裂いた腹に手を突っ込んだ。死ぬ前に腹を割かれた女は衝動で体をびくつかせ馬乗りの彼は嫌な顔をした。
 男は腹の中を掴むとそのまま腕を振り上げた。赤く染まった縄にも似た肉の塊が無造作に外へ放り出される。逆流したのか女が血を吐き痙攣して男の作業の邪魔をした。男は包丁をもう一度今度は女の顔に叩きつけると折れた包丁を放り投げる。ひやりとした雨上がりの裏通りに金物がはじける音がした。女は動かなくなった。
 長い縄を女の腹から音を立てて引きずり出すと男はそれを嗅ぐようにして何かを探った。引きちぎり中をのぞき放り出す。彼の目は既に狂っていた。血乱れた髪や顔を気にすることなく女の中から肉を引きずり出し、嗅ぐように探る。違うと思った物はもはや何のためらいもなく道ばたに放り投げ、臓物は生ゴミか何かのようにつぶれて落ちた。
 男は最期に裂いた体を手で二つに割った。あばらをありったけの力で引き抜き、中に残っていた心臓を取り出す。獣が獲物の肉を食い千切る様にそれは似ていた。鼻先に抜き出した心臓を近づけて探った。見方を変え、上から下から血が滴っても気にせずに覗き込む。そして最期に心臓を割って中を確認した。だが男は眉を歪めぐちゃぐちゃと潰しだす。
「おじさんの探している物はそこにはないよ」
 突然声がした。男が獣の反応で狂気の目で声の方を見る。ちらつく街灯の下に少女が居た。暗がりに紛れるような黒い髪に黒いワンピースを着込んでいる。十にもならない幼い子供。
 男は少女を自分の足の下で人間の形すら失った女のように砕こうと思った。犯罪を露見されるのを恐れてだとか、逃亡するための殺人ではない。目の前にいる獲物に食らいつこうとしたのだ。だが、彼女の瞳に狂気が宿っているのを彼はに気づいた。それは理性を保っていれば気づかないはずの狂気だった。男は獣になっていた故にそれに気づいて怯えた。犬の様に後ろに下がり、馬乗りになっていた女から彼は尻餅をついて落ちた。
 少女は変わらずちらつく街灯の下でほんのりと赤い唇を引き結んで微笑んでいた。眠るような光のない瞳には男にしか解らない恐ろしい輝きが潜んでいる。男の狂気は怯えることでなりを潜め、そこに注がれたのはかすかな理性だった。一つの目的に固執して他の物は失っていた男にそのかすかな理性はわずかな思考と言語を思い出させた。少女は微動だにしていない。だが、ちらつく街灯に照らされた少女はまるで踊りを踊っているかのように見える。
「知ってるのか」
 主語のない会話は彼に残された唯一の物だった。上手くしゃべれずにろれつが回っていない。あごがぱくぱくと不自然に揺れた。
「知ってるよ」
 少女はその人としての部分を忘れつつある男に存外なにも感じないらしい。薄い笑みを与えたまま自信ありげに胸を張った。黒い丸い靴がこつんと道を叩く。そして、いつの間にか男の鼻先に着くような距離に佇んでいた。突然のことに怯える男に追いすがるように距離を詰める。触れるほど近い口元から甘い香りがして男は鼻をひくつかせた。
「何処にある」
 その言葉に反応するように少し身を引いた少女は黒い瞳を縮こませ眉根をあげてきょとんとしゆっくりと唇を引いて笑った。そしてやがて満面に笑みを広げ無邪気にもう一度男に顔を近づけた。
「教えてほしい? ……でもね。教えて知った物はおじさんの物にはならないの」
 詰め寄っていた男の上から少女はどいてなぜか軽やかにステップを踏んだ。踊りを踊る様にくるりと回る。黒いドレスがふわりと浮き上がり少女はそれを楽しみながら鼻歌を歌っていた。
「見たのか?」
「知っているってそう言う事だとおもうけど?」
 当然のごとく少女は言い放ち、今度はドレスを広げて駆け回った。無邪気な子供のように遊んでいる姿の横で微動だにしない死体がオブジェのように横たわり、少女は無造作に散らばった臓物の間を縫うように飛び跳ねている。歪な空間がそこにある。だがそれを理解できる人間はここには居なかった。
「あっ、そうだ!」
 少女は突然その場で飛び上がると声を上げた。ついでに飛び散った物を踏んで音を立てる。だが少女はそれを気にせず踏みにじって再度男に近づいた。寄られて男は反射的に尻込みする。
「ねえ。三月あげる」
 男はその言葉に顔を歪めた。理解が出来なかった。少女の方は名案だといわんばかりの自信っぷりで瞳を輝かせて語った。
「その三月でおじさんは探している物を見つけて」
 うんうんと頷きながら少女は詰め寄ったまま男の血で汚れた顔を小さな柔らかい手で覆って目を覗き込んだ。それは提案をしていると言うよりは、宣告をしている様だった。有無を言わさない強さがどこかに潜んでいる。
「三月で見つからなかったら、おじさんが探している物を私にちょうだい」
 くるりとした黒い瞳がうっすらと細くなり潤みを保った目が街灯に照らされて面妖に光り輝いた。汚れを知らない少女の目ではない。狂気を底に秘めた女の瞳だった。潤んだ瞳は男のすべてを知っている目だった。薫るような色を滲ませている。だが男は色香を感じられるほど理性を持っていなかった。ただ獣しか感じない少女の狂気に怯えた。
「おじさんのはとても汚れていて素敵よ。水槽に入れて飾りたいわ」
 嗚呼楽しみ。少女は高らかにそう言うと、暗がりに去っていった。去り際にちらりと男を見た瞳は無邪気な子供の好奇心に満ちた瞳だった。彼女が去った後、辺りはただ静かに佇む町並みと冷たい空気だけが漂っていた。男が散らかした遺体はどこかに消えていた。
 男は次に中年の男を殺し頭蓋を割り脳を取り出し潰した。にもかかわらず探している物は見つからず、侵入した先の台所に頭部を投げ捨てて帰った。
「ない」
 少女も殺した小さな身を縮めて怯える子供の胸を裂き、腕を裂き、四肢を細切れにしても何も見つからなかった。苛立ち紛れに腕を振り回し小さな子供部屋を散らかす。血が当たりに飛び散った。
「ない」
 もはや欠片としか判別のつかなくなったものを鏡に投げつけ窓から去る。あっという間にひと月が過ぎ、男はゆっくりと暖かくなる空気の中、男は幾人もの人間を裂いて漁った。
「ない」
 妊婦を裂いて赤子を取り出してみたがそれでも男は探しているものは見つけることが出来なかった。医者を問いだたしそんな物はないと鼻で笑われ喉をかみ切ったりもした。しかし、何処にあるかも判別がつかず、漁ってみても見つからない。
「どこにある」
 男は少女の出した一方的な約束を守っているわけではなかった。ただ、自分の知りたいことを彼女は知っているのを羨ましいと思ったに過ぎない。急く自分の中で理性よりも衝動が先に出て居るのに過ぎなかった。だから自分が犯していることが、通俗的な社会に反する行為だと彼は考えていなかった。それを罰するべしと追う者たちが自分を追っていることすらも知らなかった。理性を失った獣に過ぎない。それは前も見えず狙い定めた者に突進するだけだった。
 薄曇りの満月の夜、男は気づかなかったが三月の日月が過ぎていた。男は暗がりの奥で幼い子供をひねり潰して中を漁っているところだった。見開いた少女の目を刳りぬいているとき、うっすらと開いた雲の切れ目から月が覗き暗がりを照らした。。
「ね? 三月たったよ」
 それは先ほどからその場にいたかのような、軽い物言いだった。ころころと弾むボールのようなリズムでよく通る少女の声が暗がりの隙間に響いて小さな余韻となって夜に消えていった。それは清々しい夜風のようにひんやりと男の頬を掠めた。
 男は顔を上げた。もはや髪は色を失いかわりにぬぐい取れないほどこびりついた血の赤が髪と顔に貼り付いている。瞳は色を失い何かが判別出来るような感じはしなかった。音がに反応しただけだ。襤褸をまとい喉を鳴らして獣のように少女を警戒する。それは少女のことを理性で覚えているのではなく、本能で覚えている事を示していた。
「ふふ、見つからない? 前よりもっと汚いわおじさん」
 いつの間にか少女は男の目の前に屈んで顔を覗き込んでいた。小さな手に白いハンカチを持って男の薄汚れた顔を拭く。乾いてこびり付いた血はそれぐらいでは拭いきれない。乾燥してカラカラになった部分だけがぽろぽろとかさぶたのように剥がれ落ちた程度だった。男の傍らには小さな子供がはらわたを散らし、絶命しているのに少女は眉ひとつ歪めない。いや視線すらよこしていなかった。
「どこにある」
 男は思い出したかのように声を出した。少女はその言葉に笑むだけで、小さな手を忙しなく動かし男の顔から血を拭っていた。手に持ったハンカチは赤く染まって血を滴らせている。だが少女の手は曇りなくハンカチを握っていた。
「どこにある!」
 男は語気を荒上げて叫んだ。少女は詰め寄った男の反動で少しだけ後ろに身体を引いただけで表情に代わりがなかった。むしろ面白げに笑みを深め逆に顔を近づける。
「知りたい? でもね、三月たったよ。だからこれは私のもの」
 男は恐怖をこらえるように血みどろの顔を横に振り、血を跳ね上げて少女に喰らいつく様に迫った。小さな少女の身体はそのまま地面に押さえつけられ、黒い髪が地面に広がる。だが、少女は頭を打つことはしなかったらしい。くすくすと音を立てて笑いそのまま大の字に寝転がったまま男を見つめていた。
「脳にもなかった、腹にもなかった、女にも、男にも子供にも赤子にもどこにある?」
 少女はまだ笑っている。男にはそれが嘲笑っているように見えた。男には少女を殺すことができず振り上げた手を少女の顔間際の地面にたたきつけた。無邪気に向けられる少女の視線は男にしか感じられない狂いが見える。自分以上に狂ってる。男にはそれが怖くて手が出せない。だが、答えを知っている少女が憎かった。
「『魂』はどこにある!?」
 寝転がった少女が薄く深く笑った。今にも声を上げて笑い出しそうな、満面の笑み。小さな手がゆっくりと男に伸びた。男は動けなかった。前にも後ろにも。
「ここにあるわ。約束通りにもらうね」
 目の前いっぱいにかざされた手が男の見た最後の物だった。