Novel

鬼夢

 狭苦しい小屋には人々がひしめき合っていた。盗賊が暴れ、さらに鬼が出たため領からの不信人物者を防ぐため、各所の関所で人の往来を止められていたのだった。
 小屋に押し込まれるのは身許の知れないもの、役人に握らせる金の無いものが大半で、暗い雰囲気に嫌気をさしたのか、数人の男たちがなけなしの金で買った酒で管をまきだした。
「まったく、なんでぇ、鬼なんぞでるんだ」
 ヒゲ面の男がうめいた。ボロに近い薄い着物で大きな身体を無理に包んでいた。欠け茶碗に手酌で注いだ安酒を投げやりに咽喉へ押し流す。
「くだらん迷信と、バカな連中が人を試し斬りにでもしたんだろ」
 気弱そうな痩せこけた男が板塀に背を預けながらいった。仕事に使うのだろう、籠を膝に置いて、それに片肘を乗せるようにして楽な姿勢で座っていた。。市からの帰りのようだ。手にもったぐい呑みを片手でもて遊んでいる。
「まったく、鬼なんて迷惑なだけだな」
 そこへ、薄汚れた小僧が、興味ありげに近づいてきた。疲れた母親の手をすり抜けて男たちに近寄る。
「おっちゃん。鬼ってなんじゃ?」
 真っ黒な顔を二人に近づけて、小僧が聞いた。男たちはびっくりして、目を点にする。まさか質問されるとはという顔だ。
「鬼は、人よ……あー、おれはそう聞いた」
 とヒゲ面の男、気弱そうな男もそれを聞いてうなずいた。
「そうだ、そうだ、鬼はもとは人なんじゃと」
 小僧はそれを聞いて、ふうん。と鼻を鳴らした。男たちはまたくだくだと話をしようとしたときに、小僧が二問目の質問を投げかけた。
「鬼は人なんじゃね……なら、夢も見るか?」
 これに、二人は黙ってしまった。困惑顔で男たちはお互いの顔を見る。互いの顔に、知らないという単語が浮かぶとただでさえひねている顔をますます歪めた。互いに鬼は見たこと無いましてや、夢など見るのか、知る由も無い。小僧は答えを待って、目をきらきらとさせている。
「なぁ、おっちゃん知っとる?」
 小僧が答えをせがみ、ヒゲ面の男があっち行け、とうやむやにしようと口をあけたとき、違う方から、声がした。
「鬼も夢見るぞ」
 小僧がそちらを向き、次いで男たちもそちらを見た。奇異な姿の男が土間に座っている。白地に赤い斑のついた装束を身に纏い、傍らに肩に掛けられるよう皮ひものついた漆塗りの小箱と、金と宝石で装飾された、到底実践的な道具とは思えない刀剣が置いてあった。男たちを一瞥し、小僧には幼げな笑顔を向けた。
「鬼のことならわしが良く知ってるぞ」
 奇異な男が男たちに笑みを投げかける。それが気に食わなかったヒゲ面の男は声をあげた。
「へん。妙な格好でなに抜かす。なんじゃ、おぬし鬼と話したことがあるんか」
 それに乗じるように気弱な男が、更に言葉を投げかけた。
「ホラじゃホラじゃ、鬼が見るわけなかろ。もとは人でも鬼は妖怪じゃ」
「鬼は人じゃ、夢も見る」
 からかう口調の男たちに動じもせず、奇異な男は言い切った。周囲がざわついた。暇な者たちが視線をよこしだし、ざわめきをあげだした。
「わしは、鬼屋だ。だから鬼のことよう、知っとる」
 小僧の目が輝いて、三問目が投げかけられた。視線は、男たちではなく、奇異な姿の鬼屋に向けられていた。
「夢ゆうてもいろいろあるじゃろ。楽しい夢とかどんなん見るん?」
 男たちが小僧の難題にほくそえんだ。答えられるかどうか見物じゃと嘲笑いながら男たちは酒を飲む。鬼屋は小僧の頭を撫でまわしこう言った。
「鬼が見るのは、悲しい夢だ」
 小僧は答えを聞いて本当かと更に目を輝かせた。真っ黒な顔にやんちゃな笑顔が浮かぶ。好奇心いっぱいの小僧らしい笑顔だった。
「鬼はもと人じゃと言うのは知っとるな」
 小僧は頭を大きく縦に振った。男たちを指さし大きな声で答える。
「あのおっちゃんらがゆっとった。鬼屋のあんちゃんも聞いとったろ」
「そうだな、鬼はもと人じゃ、人が人を恨んで死ぬと鬼になる」
 小僧はわくわくしながら、鬼屋の前で座り込んだ。知ることが楽しいというのが身体に出て、そわそわとせわしない。人々はかかわりたくないのだろう、口は出さないかわりに静かに聞き耳を立てていた。
「恨むってなんじゃ?」
 その言葉に、鬼屋が苦笑混じりに微笑んだ。
「悔しいだとか、憎たらしいとかのもっと酷いやつだな」
 ほかぁ、と納得の声をあげもっと詳しく聞きたいと近づいた。鬼屋は続けた。
ヒゲ面の男たちは鬼屋をさげすむような目で様子をうかがっている。
「死んでも恨みが取りきれんと鬼になる。鬼が見るのは、己が死ぬときのことだ」
 小僧から笑みが消える。俯いてなんだか可哀相じゃとうめいた。そこへ、男たちが叫ぶ。
「ホラじゃホラじゃ、この大嘘つきめ!!」
 ヒゲ面の男がけんか腰に近づいて鬼屋の胸倉をつかむ。胸倉をつかまれても落ち着きはらった顔で鬼屋は男たちを見据えた。
「ホラと思うか?」
「へ、鬼屋じゃのうて、ホラ吹きじゃろ」
 鬼屋は胸倉をつかまれたまま、傍らにあった、箱へ手をかけた。がらんと音を立てて蓋が外れる。
小僧が覗いて、ひいと叫んだ。気弱な男がもっと大きな悲鳴を立てて床を這う。ヒゲ面の男がなんだといわんばかりに、傍らの箱へ目を落とし、絶叫した。
「ぎゃあ!! ……あああっ!」
 胸倉を掴んでいた手を離し、尻を土間について、這いずるように逃げ出した。野次馬よろしく傍目から見ていた者たちも目を見張った。鬼屋が箱から中身を引きずり出す。厳つい顔の生首だった。
血もぬぐわず放り込んだのか、首の根からどす黒い血が滲んでいる。掴んでいる髪は灰色の混じった黒、こめかみに瘤のようなものがあった。鬼の首。目をしっかりと閉じていた。周囲の者たちが小さな叫び声を上げた。近くに居たものたちは慌てて壁へへばりつき、男たちですらたちつくした。小僧の母親ですら、怖さのあまりに身動きが取れない。
「三年前に斬った。まだ血が滲むが、噛み付きはしねぇ、清めに峠に持ってく途中なんだがね」
 誰も近づいてはこない。怖いものみたさの根性すら働かない、沈黙に似た混乱が、小屋の空気を冷やしていた。そんな中、平然と鬼屋は怯えきった小僧に言った。
「こいつの見ていた夢を教えてやろう」
 鬼屋はいとおしげに膝の上に生首を置き、撫でた。鬼の首から血が滲み、膝の頭にかかっていた装束を赤く汚していく。鬼の目が突然見開いた。金眼に赤目をしている。視線はどよんでいて空を見てるばかりで誰にも視線をよこしては居なかった。
「くちぉしやぁ……くやしかのう……」
 地響きにも似た低くどよんだ声がした。周囲のどこからか、細い悲鳴が上がった。
「夢を見るだろう、鬼よ」
 ぞんざいに鬼屋が鬼の首に声を掛けた。鬼の首は少し間を置いてから、うめき声のようなものを上げてから答えた。
「悔しき夢よぉ……懸命に働いたんに……少しでも恩を返せば……喜んでもらえると思ったに……」
 擦れるような声をあげ、鬼の首は叫ぶように語った。人々の大半が、耳をふさぎ、小さな悲鳴をあげた。かたかたと、小屋ごと恐怖で震えているようだ。
「忘れられぬ……ひたすら見る……おらを井戸に……落として……おやっさんは笑いながら覗き込んだんだぁぁ……笑うとった……笑うとったぁ……おらがなにした……なにをしたぁああ」
 また、うめき声をあげ、鬼の首は涙を流し、静かに目を閉じた。水を売ったように小屋が静まる。本当の意味での沈黙だ。それでも、まだ恐怖は沈んで居ない。だれも動くことはなかった。
 眠るように黙った鬼の首を鬼屋は優しく、悲しげに撫でた。答えるように血が鬼屋の膝を血で滲ませる。
「哀れな、鬼よ。つらい夢はもういらん。憎き思いは小僧が知った。お前の恨みは人に伝わった」
 首に怯え、鬼屋に怯え、彼らは気が気ではなくなってしまったようだった。誰も息をしてないようなそんな空気に満ちていた。
「鬼は人が生む。だから、鬼を消すのも人の役目だ」
「なにぬかす!」
 ヒゲ面の男が、立ち上がり、土間に立てかけてあった棒きれを引っつかむと、力任せに鬼の首に打ち付けた。無我夢中な、沈黙に耐え切れなくなって、気が狂ったかのように、力任せに暴れだした。転がる首を追いかけで幾度も幾度も棒を振り下ろす。原型をとどめないほど打ち付けて、鬼屋の方へ向く。鬼屋はただそれを眺めているだけだった。無感動に。
「へ、へん……どうせ、張子かなんかだろう……」
「そうかな」
 鬼屋はそうとだけ言うと箱を持ち、呆然と立ち尽くす人垣のなかへまぎれていった。不安そうな周囲は、身動きすら取れずに立っているだけだ。だれも追おうとはしない。
「ま、まちやがれ!」
 持っていた棒を投げ出し、ヒゲ面の男は鬼屋を追いかけようとしたがぐいっと袖をつかまれ、つんのめりそうになった。
「なんだ!」
 振り向くと気弱そうな男が真っ青になって座っている。袖を掴んでいる手が震えていた。顔はそっぽを向いて一点を凝視している。ヒゲ面の男は気になって、そちらの方を覗いて見た。
気弱そうな男が見ているのは、鬼の首が飛んでいった方だった。赤黒く板間が薄汚れている。どす黒い血黙りの中に、鬼の首がうずくまっていた。
「?」
 ヒゲ面の男は不自然さを感じた。少しの戸惑いの空気が、人垣にも伝わって周囲がざわつきはじめる。
身を乗り出すものも居たが、近づくものは居なかった。が……
「ああ!」
 突然、一人の女が叫び声をあげた。ヒゲ面の男を突き飛ばし、鬼の首へすがりつく。ヒゲ面の男は突き飛ばされた勢いで、床に伏した。
「あああ!!」
 桂包を解き、鬼の首をぬぐってく。綺麗に拭われて現れたのは、見覚えのある顔だった。屈託のない顔で、質問を浴びせた小僧だ。原形をとどめないほど顔をゆがめ、力なく身体をだらりとたれ下げている。人目にも生きているようには見えなかった。
「なっ……!」
 驚きのあまり、ヒゲ面の男は腰を抜かした。今さら手が震えだす。周りも気づいて騒ぎ出した。身を乗り出すものや、顔をそむけるもの、様々な者たちはこれ以上ない恐怖に、包まれていた。女は半狂乱になりながら、小僧をかき抱いた。
「さっきまで……鬼の首……」
 誰しもがそう思っていたようだった。泣き出した女以外は誰も声をあげることがなかった。鬼の首は小僧になっていた。いやもしかすると、鬼の首だと思ったものは小僧そのものだったのかもしれない。
 ヒゲ面の男は周囲を見まわした。人垣の一番奥で、鬼屋がにんまりと笑った。
恐ろしい笑顔だった。