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ちっさいおっさん

「君は注意されたら、きちんと反省をしなきゃいかん」
 苦言を呈するおっさんに、オレは締めていたネクタイを緩めながら肩をすくめた。小言はいつものことだから呆れてしまう。まあ、同じことを言われてもすぐに忘れてしまうから仕方ないのかも知れないが。
「へいへい」
「返事は"はい"で一回!」
「はーい」
 ぷんすか怒っているおっさんを尻目に、一端自室に入ると手早く部屋着に着替えて戻ってきた。今度は怒られないように静かに扉を閉める。さっきは玄関先を反動に任せて閉めて怒られたのだ。とはいえ。テーブルの上でちょこんと立っているフィギュアサイズのおっさんに叱られたところであんまり怖くない。
 ちいさいおっさんは、麻のシャツにベージュのスラックス。ネクタイはしていない。ものすごい間近に寄ってあ、と思う程度の白髪交じりの髪を整えて、なんだかどこかの教授みたいな格好をしている。二十代後半の自分の親父より少々若くみえる。このおっさん、いつの間にか家にいてやたらお節介を焼いてくる。最初こそびっくりしたが今は慣れてしまった。
 ビール片手に買ってきた晩飯兼、酒の肴のおかずをおっさんのいるテーブルのうえに置いて一息つく。近くにあったプラスチックのお人形用のコップを彼に渡すと、悩むような顔をしながら受け取った。
「酒の飲み過ぎはいかんと思うが」
「んじゃ、おっさんやめとく?」
 爪楊枝で伝わせるように慎重にビールをコップに注いでやりながらからかってやると、あからさまにおっさんが眉を寄せた。そこそこたしなむ、おっさんは呻きながらそれを素直に待っている。断る言葉は発しないから飲みたいのだろう。ついでに人形用のスプーンを渡してやるとそれを受け取った。
「……コンビニの弁当ばかりというのもなぁ」
「んなこといったって、オレ自炊できねえし。おっさんは?」
「このなりじゃどう考えてもできなかろう」
 おっさんは生まれたときからこのサイズというわけではないらしい。一応、大きさを不便に思うところもあるようでコップ片手にため息をついている。我が家にあるものすべて自分使用のサイズだから、ちいさなおっさんにどうすることもできないのはあたりまえだ。
「まあなあ……自炊自体はできるの? やり方を教えてもらえたらやれるかな……」
「簡単なものなら……といってもずいぶんやってないから……だいたいどうやって」
「オレの頭の上で指示してくれるとか。オレがんばるし」
「なんか落とされそうでヤダ」
 たしかにやりそうだなと思い描いて半笑いになる。それに気づいたのかおっさんはちょっとだけ不機嫌そうにコップに口をつけた。スプーンでコンビニのおかずの端を削るようにして掬うと、口に含んで食べている。自分も手をつけた。味が濃いよなぁとしみじみ思いながら噛みしめる。
「それより、仕事は大丈夫なのか」
 ちょっとだけ、動作が止まった。なんともいえないのだ。代わりにビールを飲んで押し黙る。転職して三ヶ月、営業なんてやったこともない職種で慌ただしいうえ、性格的に上司と合わない。
「まー……ぼちぼち」
 愚痴を言おうとおもったが、ちょっと考えて止めた。くつろいでいるなかで、そんな話するもんでもない。おっさんにとってもあんまり聞いていて気持ちいい話では無かろう。
「まー、前と職が違うんだとかいってたか……」
「うん」
 前は机作業があたりまえの職業で逆にそれが負担になって身体をこわした。しばらくは失業保険でなんとか食いつないで、運良く切れる前に職にありつけた。どれだけ辛くとも、前よりはマシ。身体を壊すほうがつらい。つかえない上司はフォローをすれば何とかなる。そういえば、辞めてからだ。おっさんがきたの。
「……おっさんは本物なのか?」
 フィギュアサイズのおっさんが、この世にいるとは思えない。働けなくなって、身動きもままならない状況で暗く悩んでいるところにいきなり現れて、オレを叱咤した彼は、もしかしたら自分が勝手に思い描いた幻想なんじゃないかとも思う。寂しさゆえに作り出した幻。その姿が、おっさんなのがひっかかるが。もし、幻ならもうちょっと理想を形にして欲しい。巨乳のねーちゃんとか。
 まあ理想と食い違うからこそ、自分はこのおっさんは本物で、ちいさいのはきっとなにか理由があるのだろう。そういう人種とか。しかし、とうのおっさんはビールをちまちま飲みながら首を傾げていた。
「本物といわれても……一応、大きかった意識はあるんだぞ。住所も名前も覚えてるし」
 いわれて初めてそうなんだと納得した。まあ生まれてこのかたこのサイズというよりは唐突に小さくなったほうが納得がいく気がする。ただ、名前も住所も分かっていながらなぜここにいるのか疑問だった。
「家族とかは?」
「わからん」
「え?」
 ちびちび飲んでいると飲みきれないと判断したのか半分残っていたビールを煽っておっさんがため息をついた。ちょっと投げやりな感じなのが気にかかる。たしなむ割りに弱いのだろう。もう顔が赤い。コップ一杯なんて、自分なんか飲んだうちに入らない。
「記憶が曖昧なんだよなあ……もしかしたら、自分の知ってる住所先にいくと、普通サイズで自分がいそうな気がする」
「なに、今ここにいるおっさんとは別に生活してるおっさんがいるの?」
「そう。そんな感じ」
 ちょっともの悲しそうなおっさんに、なんだか聞いてはいけなかったような気がして気まずくなった。あんまり気持ちよくない記憶だ。もう独り自分がいて、普通に生活しているなんて、ちょっと気味が悪い。あぐらをかいてふらふらしているおっさんになんと言ったらいいか悩む。
「んじゃさ、住所教えて」
「ふえ?」
 唐突なもの言いに、おっさんが歳に合わない頓狂な声で返事をした。一気に煽ったせいで酔いが勢いよく回ってんじゃないかと心配になる。笑いそうになるのを堪えながら、自分のコップをテーブルの邪魔にならない位置に置くと、適当な紙を引っ張ってきた。鞄から、営業用ボールペンを取り出して書く準備をする。
「なんでまた」
「いや、そこに行ってみようかなと」
「い、いや、行ってどうにかなるってもんじゃ」
「一緒に行ってもかまわないけど。うん。小さいのが消えたらおれ、そこに行ってみよう」
「行ったところで、普通サイズの私がいるとは限らないし、たとえいても、記憶が共通してるとは限らないじゃないか」
「いなかったら残念がる。居て、オレのこと知らなかったら、そっから知り合う。一応営業やってるし、トークで仲良くなってみせるね」
「その活動の意欲はほかにとっときなさい」
 あきれかえった声でそういわれたが、引っ込みがつかない。ボールペンの先で、痛がらせないよう小さくおっさんを突いてやった。予想だにしてなかったのだろう。あぐらをかいていたおっさんはバランスを崩して後ろにひっくり返った。起きる気はないようだが、ちょっとだけ睨まれた。素知らぬ顔で顔を逸らす。
「……寂しいじゃん」
「あ?」
 今度はちょっとはまともな呆れ声だった。笑うよりなんだか恥ずかしい。これでおっさんがオレの勝手な想像物だったら笑える。いや、もしそうなら、自分はなんて寂しいんだろう。本当であって欲しい。おっさんでもいいから。巨乳じゃなくていいし。
「……一回しかいわないぞ」
 互いに半笑いになりながら、オレはおっさんのいう住所を書き留めた。聞いたことのない地域の聞いたことのないアパートの名前。少しだけほっとした。自分の知らない知識がおっさんにあるだけでちょっとだけ、自分の作った幻ではない気がする。

「んじゃ、寝るか」
「……風呂は」
「朝でいいよ。めんどくなった」
「いや、お前はそのずぼらなところを」
 おっさんの小言をよそに、彼の服の裾を引っ張り上げて身体を手のひらで掴む。人形のような堅さはなく柔らかな、どことなく人を思わせる温かみを感じつつ。自部屋に向かった。勢い余ってものすごい音がした。
「だから、何度もいってるだろう。ドアは静かに閉めなさい!」
「へいへい」
「返事は、はい!」
「はーい」
 おっさんの声のほうが大きいよ。とはいわなかった。