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背中が重い。当たり前かも、久美はため息をつくその呼吸すら重い気がしてきて目の前にしたパソコンの前に突っ伏した。目をつぶるとやすやすと目の前に広がった闇の向こうへ引き込まれる感じがしてそれはとても魅惑的な誘いだった。
「ああ、眠ってしまいたい……」
「ふざけんじゃねぇ」
頭に硬い衝撃と痛みを感じてのろのろと顔を上げる。冷たい眼鏡のフレーム越しにいっそう冷たい目が睨みつけていて久美は気づかれぬようため息をついた。よりによってという相手だった。
「……すみません~」
猫なで声で咳き込んでみるものの、当たり前だが彼にそんな媚びた行為が利くわけはなくもう一度、紙束で頭を叩かれた。ただでさえ痛い頭にそれはよく響く。釣り鐘の中にいるのに鐘を鳴らされてる気分だった。
「とっととやれよ。これメールの添付でおくったから。つき合わせよろしく」
渡されたずしりと重い紙束の表紙を眺めてへこんでいく。さまざまな字体で書かれた数字の羅列。紙の束すべてにそれが書かれているのは知っている。店舗から回ってきた納品希望数の資料束。もうそろそろ店舗もデータ化してくれないかな。と思うのだが、店柄、年配の店長が多いのでそれがしづらい現状にある。
「うええ。もうちょっと店舗に読みやすい字で書くよう通達してくださいよ」
「いいからとっととやれボケ」
パワハラだ畜生。と口の中でつぶやいて、もらった紙束とメールに添付されていたデータファイルを開く。テンプレートされているものの真っ白なセルデータに気が遠くなりながら久美は深呼吸一つして頭痛を追いやった。
胡乱だ意識の中でアナログな数字を追いかけ電子に記入していく。頭痛で落ち着かない頭には数字の羅列は言語の違う言葉のように見えて一向に進まない。そうこうしているうちに意識すらぼんやりしてくる。
「三なのか八なのかはっきりしろ……」
乱雑に書かれた数字にケンカを売りつつ順繰りに列を追う。だが、久美の頭は目線に追いつかず、頭に入ってくる数字と見ている数字が合わなくなってため息をついた。ただでさえ頭痛で落ち着かないのに、乱筆な字がそれに輪をかけて作業を遅くしていた。
「うー……」
三度見誤って一端紙から視線を離す。だが、途中で投げ出すのも腹が立つために意地になってかじりついた。
「あー……」
苦闘数時間、定時も過ぎて外は暗い。ぼちぼち帰る人が席を立ちだし、遠慮げな帰社の挨拶が久美の頭の上を飛び交う。自分もそうしたくてたまらないが頭から数字が出ていかずしばらく突っ伏しているしかなかった。
「寝てるんじゃねぇよ。アホ」
「んが」
背後から声がかかったと同時に脳天に硬いものが落っこちてきて頭に詰まった数字は吹っ飛んだが星も飛んだ。鈍痛が重く響いてうな垂れる。
「い……たいじゃないですか。できましたよ」
「おー。紙の方よこせ。ファイルはメールで」
「送ってあります」
にらめっこしていた紙束を顔も上げずに渡し、久美はほっとため息をついた。すぐ帰ろう。速攻、帰ろう。彼が席から離れたらと意気込むものの件の彼は席を離れていないようで椅子の横に気配がある。
「あのぉ」
「はよ受け取れよ」
「んが」
しずしず上げた顔上にこれまた硬い物体を落とされて避けるまもなく顔面で受け取る。持っていた手を離したらしい。額に当たった硬い感触にふらつきながら、衝撃物にを慌てて手で捉えると、すでに彼は久美から離れて自分の席へと戻っていた。
「おつかれさーん。お大事に」
「……あい」
返事が胡乱になってしまう。手で握ったそれが一気に肌を温めて、熱くなって机の上に置いた。スチール缶まだ温かい。かわいらしい茶色の缶に、丸い印字でココアと記してあった。
「とっとと、帰れ。風邪、ひいてんだろ」
「……ココア、飲んでからにします」
久美は椅子に背を預けてココア缶を手にするとゆっくりと息を吐いた。熱っぽいのは風邪のせいじゃなかった。