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キャンドル ナイト

 夕日がにじみ少々、雲の乗った空を紅に染めていた。雨上がりの川べりは新緑が雨を吸って独特の香りを放っている。フォリンは夕暮れ時の道をいつものように無口そうな少年アテッロと一緒に歩いていた。
 アテッロは口を固く結び、素朴な顔を歪めるでもなく緩めるでもなく、フォリンの横について大事そうにカバンを抱いて歩いている。フォリンは川べりに咲いていた名前も知らない花を摘み取って、くるくると回しながら、アテッロのその姿に微笑んだ。
 今日は1年に1度のイーズディーナの日である。
 豊穣を願い、雨露の女神イーズディーナに朝まで祈りをささげるという行事の日であったが、今は豊穣を願うというよりは個人的な願い事をかなえてもらう為のものとなっている。朝までは祈らず、教会が鳴らす日替わりの鐘まで、ランプを消して小さなキャンドルに火を灯し、静かに祈る。子供たちが夜更かしができる日でもあった。
 このイーズディーナの日に願う願い事は、必ずかなうといわれている。今日の学校はその所為か、みんな落ち着きのないものだった。
 フォリンはいまいちこのイーズディーナの日がぴんこない。数年前に一人きりで越してきて、この行事はまだ数回しか経験していない所為だ。だが、みんなが楽しみにしている姿を見て、自分も少々楽しい気分になった。
「今日の晩御飯はなに?」
 くるくると回していた花を放り出し、また新しく川べりから花をちぎる。アテッロはまっすぐ前を向いて思案してるようだった。
「……クロィルが今朝、トマトと鶏肉をくれたから……」
 カバンを抱えた腕に力を入れてアテッロは今日の献立を考えているようだ。フォリンとアテッロはほぼ毎日夜を一緒にすごす。仲がいいのもあるが、アテッロの家は少しいい家庭ではない。
その所為か、素直に家に帰りたがらないのだ。無表情のアテッロは、感情を表に出すという行為に不慣れである。幼いころほとんど放置されてすごした所為だ。
詳しいことはフォリンは知らない。出会ったころから無表情だったし、このごろは驚いたり、泣いたりすることを覚えた。徐々に表情が出てきているなら、それでいいとフォリンは個人的には思っている。
「パスタがいいな」
 適当に腹具合と頭の中の欲求を、フォリンは声に出してアテッロに伝えた。アテッロはひょいと顔を上げてフォリンを見つめ、ぼんやりと思考をめぐらせる。
「おなか空かない? それ」
「……後一品は、アテッロが考えて」
 考え付かなかったので、フォリンは悪戯げに笑いかけた。紅から紫紺に染まりつつある空で雲が逃げるように流れて行くのを眺めた。アテッロの方は、後一品作らなければならない夕食を考えているのか、地面を硬く見つめたまま口元を動かしていた。
 村はずれにフォリンの家はある。小さなたたずまいだがしっかりと建てられたもので、安心してすごせる。フォリンはこの家が好きだ。見えてくると駆け込むように急ぎ足になった。アテッロは、まだ小さくうつむいてゆっくりと歩みを進めていた。
「思いついた?」
 戸口を開け、家に入る前に、フォリンは一言声をかける。肩にかけていたカバンを自分のベッドの上に放り、傍らに座る。そんな動作をしているうちに、アテッロも戸口から入ってきた。戸口のそばに立ててある古びた貰い物のコート掛けに落とさないようきっちりとカバンを掛けて、今度はカマドのある奥の部屋へと歩いて行く。どうやら後一品、思いついたらしい。
「カバンはかけなきゃダメだよ」
奥の部屋へ入る前に、フォリンの方を認めるとしっかりとした口調で嗜めた。ため息混じりにフォリンは素直にカバンをコート掛けに掛けるとアテッロの後を追うように、奥の部屋へと入った。
 料理が下手なフォリンは、アテッロの鮮やかな手つきと手際に毎日のことながら圧倒された。
 トマトを細かく刻みオリーブオイルをかけ、その手間ついでに鶏肉に味付けしてからっと焼き上げる。いつの間にか鍋でパスタがゆだっており、同時にジャガイモも湯の中で踊っていた。
あっという間に、たっぷりのポテトサラダと、鶏肉とトマトのパスタができあがり、手際よく、机の備え付けてあるテーブルに並べられる。
「たべよ?」
 飲む用の水と、コップも手際よく用意され、アテッロはそそくさと座って食べる体勢に入っていた。

 相変わらずの手際にぽかんとしながら、フォリンはアテッロの向かいにすわり、出来上がったばかりのパスタを食べた。見た目はかなりあっさりとしたものなのに味はしっかり付いている。にんにくの香りのするオリーブオイルと強めの味付けをされた鶏肉が、かりっとしていておいしかった。ポテトサラダには隠し味にマスタードが入っているようでピリッとした刺激がある。悪くはない。
アテッロのフォリンは今日あったことを互いに離しながら、ゆっくりと夕食を楽しんだ。

 一時間あまりのゆったりとした食事を終えて、いつものようにフォリンが片付けを始める。食事はアテッロが、片付けはフォリンがするというのがこの家の中での唯一の約束事だ。
皿を洗い、台所の水処理とカマドの後始末をして、アテッロの入る部屋に戻ってくると、アテッロはキャンドルに向かって何かをしていた。小さな千枚通しで何か彫って入るようだった。キャンドルは学校で蝋を溶かしなおして固めたものである。
行事用にと教師たちが作らせてくれたもので、それと一緒にコップに特殊なインクで色付けしたキャンドルグラスも作らされたのだ。
「なにしてるの?」
 不思議に思いながらフォリンは自分の定位置であるアテッロの向かいに座った。懸命にアテッロはキャンドルに向かって小さく手を動かしている。
「隣のクラスの子が話してたんだ。こうやって、願い事を刻んでおくと、絶対かなうんだって」
 懸命に刻みこむアテッロをみて、フォリンは少々驚いた。
一見無感動に見える彼でも、絶対にかなえたい物があるんだと気づかされたからだ。
「叶えたい願い事があるんだ」
 わりとぞんざいに作った自分のキャンドルをフォリンはカバンから取り出すと、棚から学校から以前もって帰ってきたキャンドルグラスを机に置いた。
「……えと、人に教えちゃだめなんだって」
 ひょいと顔を上げてアテッロは、眉をひそめて困った顔をした。数少ない表情の一つをみてフォリンは笑う。
「僕は教えてなんて一言も言ってないよ?」
 アテッロの言葉が自分の気持ちと同じで思わず笑ってしまう。ごまかすように、自分のキャンドルに向かって、手持ちの小さなナイフで刻み始める。
「?」
 不思議そうな顔をして、手を止めているアテッロを上目づかいに見ながら、キャンドルに小さく簡単な落書きをした。
「いいこと聞いたから、僕もやる」
 いいでしょう? と顔を上げ、フォリンはにっこり微笑む。ひそめた眉が緩んでアテッロは一息ついたぐらいで何も言わなかった。
 熱心なアテッロの後ろにある窓の外は、暗くなっていた。日が長くなるにつれ、空気は暑さを増している。それでも夜は、少々寒い。濃紺の空とにじんだ黒い木々の影が、なんだか窓の外だけを影絵の世界になってしまったかのような不思議な風景だった。
 小さく鐘の音が聞こえてきた。アテッロが顔を上げ、振り向いて窓の外を眺めた。フォリンもそれに習って耳を傾け、鐘の音を聴く。祈る時間になったのだ。
「書き終わった?」
「ん、ちょっとまって」
 手早くアテッロは何かをキャンドルに書きこんで、顔を上げる。フォリンはそれを確認してから、手製のキャンドルグラスにキャンドルを刺し、頭上にあったランプをはずすと、互いのキャンドルに火を分け、ランプの火だけはおとした。
 ほんのりとした淡い橙色の光が色を付けたキャンドルグラスを照らす。フォリンのは青、アテッロのは赤。塗りにムラがあるアテッロのは濃淡で光の度合いが変わって見えた。密閉の完全ではない家にほのかな風が吹くのか、ゆったりキャンドルの火が軽やかに踊る。
 アテッロが目をつぶり、椅子に座りなおしてから、雨露の女神イーズディーナへの祈りの言葉をつぶやいた。フォリンもアテッロに習い、キャンドルの横に手を置き指を絡め祈る。
 目をつぶると互いのキャンドルのちらりとした光がまぶたに透けて見えた。小さく揺らめくキャンドルは、熱を帯びながら蝋を溶かし、どこかへと消えていく。フォリンはアテッロの真剣な姿を盗み見と幼いころ父の無事を祈り、目をつぶる母の姿を思い出した。
 フォリンの父親は、冒険者だった。だから家に帰ることはほとんどなく、フォリンはまったく顔が思い出せない。ただ、夜ごとに母親が眉をひそめ懸命に空に向かって祈っている。そんなことしか覚えていない。
 夜は深く、ランプよりも弱い光のキャンドルは、ほのかな風にも揺らめき細く弱くなる。まるで願いは儚いものだと言われているようである。だからこそ、願いを込めて祈るのだろう。
 フォリンは、盗み見をやめると、指を絡めて組んだ手に額を当てて、うつむいた。慣れた目に映るテーブルの木目数秒眺めてから、目をつぶり、キャンドルに願いを込めるつもりで真剣に祈った。
 小さなざわめきが聞こえる。懸命に祈るフォリンとアテッロの耳に聞こえてくるのは、風とそれに揺れる家具の音だけである。夏場の天気は夜になっても気まぐれで、どうやら雲を呼んでいるようだ。雨露の女神が村の頭上を通って願いを聞きにきたのかもしれない。フォリンはそんなことを考え付いてちょっと笑みを浮かべる。
 村のほとんどが真剣に祈りをささげているのか、暗闇に村が埋もれてしまい、消えてしまったのかと思い始めたころ、小気味良く窓を叩く音がした。雨が窓を叩いたのだ。
「あ」
 ぱたぱたと軽やかな足取りの音がだんだんと早足になっていく。その音が一つの音として重なったころ、キャンドルの火が揺らぎ、跡形もなく消えた。同時に、雨音の向こうから微かに鐘の音が聞こえてきた。
 完全な暗闇になっても、フォリンは黙っていた。すぐにしゃべりだしたら、願いが霧散してしまいそうで怖かった。小さな鐘の音が雨の音に押されかき消えるまで俯いたまま、目だけを開けて闇に目を慣らす。
「ランプつける?」
 最初に声を出したのはアテッロのほうだった。かたりと音を立ててどうやらランプの方へ行くつもりらしい。フォリンからは暗くてよく見えない。
「いや、このまま寝よう?」
 そう言うと闇に慣れた目でアテッロを探して、手をとった。なんとなく、キャンドルよりも大きな火を見てしまうと何もかもが台無しになってしまう気がしたのだ。
 アテッロの手をとって、フォリンはベッドに寝転ぶ。アテッロも何も言わずに横になった。
「おやすみ」
 ごそっと居住まいを正す気配がして、アテッロの顔が横になった。それきり動かない。寝入りの速さに、少々驚くフォリンだったが、起こさないように自分も居住まいを正す。
 大切な人のために祈るということが、こんなにも他人をいとおしく思えるとは思わなかった。雨音を聞きながら、フォリンは母が時折無事に帰ってきた父親に向ける笑顔の気持ちの深さをほんの少しだけ感じた。
 そして、早くあの気持ちを自分も味わいたいと思い、夢の狭間で女神イーズディーナと傍らに眠るアテッロに、自分の願いをつぶやいた。
「いつか笑顔をたくさん見せてね」