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大きな木に見守られ

「ゆっくり、すり足でできるだけ腰を落として」
 ジャージ姿のおばさんが、正面で並んだ巫女姿の五人の少女に見本を見せながら舞っている。足元のおぼつかないメンツは五人中三人ほどがたたらを踏んで、残り二人は腰が落ちていなかった。
「きちんと腰を落として」
 手を抜いてだらついた踊りをしていた二人に叱咤が飛び、その女子は不機嫌に眉根を寄せていた。地元の神社の神事である。選別は地元の女子高生。完全にくじ引きというか、寺社で働いている人が勝手に決めるため、大抵は下手か、やる気がないかのどちらかだった。
「ああ、違うって。手は上げたときに手首をしならすの! 神楽鈴の音がしないでしょ」
 融通の気かなさにおばさんが苛立ってきているのがわかった。毎年たいへんだけれども、半ば仕方ない気がする。放課後を拘束されて、遊びにも行けない。慣れない動きで身体は痛い。自分は関係ない。
「静明くん。席外して」
 ちらちらと見られているのはわかってた。慌てるように慣れない踊りを踊るのは見ていてほんの少し楽しかった。なにぶん今年は自分と同じ年のメンツだからなおさらに面白かった。口には出さないけれども。
「うん」
 立ち上がるとその場を辞する。広い境内にある座敷は木々に囲まれていて外へ出るとすっとした風を感じた。木々が日を遮っているからまだ涼しさを感じるが、日差しの照るところへ出ればそれなりに暑いはずだ。夏が近づいてきてる。
 ふと思いついて、縁側を降りて手近にあった下駄を引っかけた。多分、おばさんのだろうが、かまわない。自分の家だからこういうことには雑になる。ざくざくと土気を下駄で踏みながら、見慣れた庭を歩く。大小さまざまな木々が植えられて大きい。よく登って怒られた。

 一本だけ、しめ縄のかけられた巨木に近づいた。小さな頃から気に入ってる。この木を背にして見上げる日差しが好きなのだ。大きな幹に対して思いのほか小さな葉がたっぷりと茂る。他の木と混じり合いながら目の揃わない編み目のように開いた隙間からこぼれ落ちる日差しが柔らかくていい。
 ゆっくり、上を見上げ、右手を高く掲げる。何かを鳴らすように手首を返し、すり足で決まった位置へ足を運び、流れるままに身を翻す。下駄がときおり石に当たって音がした。さっき散々、みんながやっていた舞だ。
「お前が踊れよ。静明」
 声がして我に返った。足を止め巨木を見る。日差しが差し込んできているわけでもないのに、まぶしさを感じて目を細めた。姿がある。古びた姿、水干を着込みつつも、髪は括ることも烏帽子も被っていない。
「やだよ」
 足を止めたものの、手先だけ動かす。水の流れのように雲をかくように。横へ切り、繋ぐように左を添える。この舞は女の人がやるものだ。禊ぎ、清め、神を迎える。手順を踏んで神様を迎えるんだとは、神主だった祖父がいっていた。父はあまり関心がない。継いだは継いだがいろいろな障害を臨機応変に変えていく。それでいいのかどうかはわからない。現神主が決めたことならいいのかも知れない。
「十のときやったろう。あれはよかった」
「あっ、れは!」
 相手にしまいと思っていたのにほじくり返されたくないことを返されて、思わず手を止めた。あのときのことと、我慢の聞かなかった今とで二重に恥じ入る。水干の男は笑う。くっきりと目尻に朱を刷いて狐面に描かれたような狐目を細めた。
「あれは親父が……頼んでた巫女が風邪引いて休んだからって無理矢理……」
 急だったのだ。だいたい出る人数を決めて選出してしまう。休まれてしまうと人数が足らない。年齢もあって舞るのは毎度この時期、舞の練習を見ていた自分だけだった。巫女服を着、白塗りと紅を施して人前で舞う。ひどく恥ずかしくてこなすだけで精いっぱいだった。あとで自分が数人の女子の中にいて、違和感なかったと評されていて二度落ち込んだ。
「お前は真剣に舞うからな。ちゃんと場が清められる」
「うるさいな。兄さんが継ぐ気まんまんなんだからオレは関係ない」
 兄は理由はわからないが、この神社を継ぐのに違和感を抱いてはいないらしい。それよりも楽しんで学んでいるようで、次男の自分は半ばほっとしていた。ここの管理も神主という仕事たいへんそうだ。慌ただしい時期を見てきているからだろう。
「あれはあれでいいがな。見てて面白いし。だが、主になるならあれは駄目だ」
 にやついて笑う。兄のことを知って、気持ちも意向もある兄を否定する。少しだけカチンときて改めて彼を無視した。初めから、右足、下駄の歯で土を蹴るようにする。小石に当たって乾いた音がする。もう一度掲げた右手をしならせる。涼やかな鈴の音が自分の中でだけ鳴り響く。男はしゃべらなかった。舞い続ける自分に視線を投げかけてるのが気配でわかる。目をつぶり視界を遮っているから、彼の様子は見ない。けれど。多分、笑ってる。恥ずかしくなってきたが、今度は静止のタイミングがなかった。舞うなら、舞いきるのが礼儀だろう。

しゃん

 中腰で高く差し上げた右手をしならす。しばらく静止し、ふっと息をついた。さすがに汗ばんだ額を拭い目を開ける。と同時に軽い拍手が響いた。
「すっごいー! 静明くん、さっきのお祭りの舞だよね! できるんだ」
 驚く以上に恥ずかしさのあまり思わず後じさりしてしまった。どっと背中に熱い汗をかく。さっきまで、舞を練習していた一人。
「いいい、伊々田さんっ、いつから」
「ん? さっき。今日は終わりだっていわれたんだけど、明るいから木陰で練習しようかなって……」
 今すぐ走り去りたいのに、運が悪いことに巨木を背にしていた。逃げ道は彼女の向こう側にしかない。クラスメイト。選別された巫女の中に、見知った顔がいたから見ていたのだ。……片想いの
「あんなに上手なら、教えてくれる?」
「いやっ! あの」
 まさか見られるなんて。欲をかいて同じ空間にいれば、学校のクラス内にいるよりはもうちょっと知り合えるかと、そんなよこしまな思いに駆られて邪魔した報いだろうか。巫女服で誤魔化して踊ったときより落ち込む。死にたい。
「すっごい綺麗だったよ。空気みたい。ああやって動けるなんてすごいよ!」
 純粋なもの言いが、悪気のないホメ言葉が、嬉しい以上に複雑な思いを駆る。褒められるならもっと日常的なことだったらよかったのに。男らしいこととか。勉強とか。そしたら、期待のまなざしに答えてあげたい。答えれば絶対に彼女と親しくなれるだろうけれど。この舞は自分は恥ずかしすぎて二度と見られたくはなかった。
「あっあ、あの」
 断って距離を取られるか、もう自分の中のプライドをかなぐり捨てて、親しくなることを望むのか葛藤と、それをつゆ知らずにキラキラとしたまなざしを向けてくる伊々田さんに従うか。目の前が霞むほど混乱した。

 後ろから、笑う声が聞こえる。それに合わせるように巨木の葉が音を立てて揺れた。関係ないといった罰だといわんばかりに。