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食後のたばこ

 虫がいる。夕食を終えて一息ついたとき、卓の上にいたのにふと気づいた。小さなもので、つやつやと黒く滑るように光る身体を持っていた。蚊とかそういう物ではなさそうだ。
 害はなさそうだから放っておいた。それよりも、食後の一服と煙草を一本取り出して、ライターで火を付ける。これがないと食事が終わった気がしない。
「煙い」
「え?」
 突然聞こえた声に、ふと下を見た。卓の上の灰皿の横で虫が後方の二本の足で立ち上がって偉そうに佇んでいる。
「煙たいつってんだよ」
「……そこにいるのが悪いんじゃないか。俺の楽しみ取るなよ」
「身体に悪いんだろ。その煙。なんで、自分の命を縮めること率先してするんだ」
 そう言えばそうだな、などと考える。いつの頃からか、気がついたら吸っていた。一応、二十歳を過ぎてから吸い出したと思うものの、きっかけがなんだったのか全然思い出せなかった。
「……うーん。売ってるから買って吸ってるだけだな」
「ふーん。単純だな」
 虫に単純と言われるのは希な体験だと思いながらも、いい気分ではない。虫の生き方だってかなり単純なものだろう。卵から生まれて葉をはむだけじゃないか。言い訳じみた小さな声でぼやくと、虫はやれやれと真ん中の二本足を左右に振った。一番上の二本足は上手に組んでいる。
「俺らはね、お前らより生きてる時間は短いの。いろいろやることあるんだから、嫁さん探したりしなきゃいけないし。争奪戦だってあんだぞ」
「んじゃ、俺と話してる暇なんかないだろう」
 虫は口元をもたげて、しばし考えるような仕草をした。というかそんな感じに見えた。生きてる時間は短いが、歳を取る速度は俺より早いのか妙におっさんくさい。
「うん。そうだ、俺、外に出たいんだよ。そこの窓開けてくれ」
 一番上の右の足で自分の真後ろを指されて振り向いた。小さなアパートにある唯一の出窓はきっちり閉まっている。外は暗闇、葉すら見えない。部屋の中が明るいからだろう。
「なんだ、外に出られなかったのか」
 そう言って俺は少し身を起こし、身体をひねってその窓を少しだけ開けた。虫は立ち上がるのを止めて、きちんとはいつくばると体を震わせ羽を伸ばす。
「あんだけでかいと、俺じゃ開けられないからな、じゃあな」
「おう」
 すいっと静かに体を浮かせ、虫は窓の縁に降り立った。そしてやっぱり人間のように、2本足で立ち上がり、一番上の足の一つで寄りかかるよう体を支えると口だけで振り返る。
「今度は人間になりたいな」
 ぼんやり声がするのを体勢を元に戻して、背中で受け止める。小さな虫の声は不思議としっかりと聞こえてきた。もう一本、と煙草を一つ箱から取り出し、口にくわえる。
「なってどうするんだよ」
「煙草を吸ってみるんだよ」
 妙に得意げに聞こえる声に、火を付けながら嘆息した。
「やめとけ、体に悪いんだろ」
 答えの代わりに小さな羽音が聞こえた。振り向いた時には虫は居らず、小さく開いた窓から冷たい風がほのかに吹き込んでいた。