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愛とはなんぞや

 鼻歌を歌いながらハンドルを切ると後方でカシャカシャと瓶が鳴るのが聞こえる。不安げな音だが、ケースに入っているのは分かっているので無理な運転さえしなければ大丈夫。
「安全に安全に」
 田舎というほどのどかではないが、都会のようなむやみな喧騒とはほど遠い一般的な住宅街を抜けていく。昼時を過ぎて、夕方にはまだ早いそんな時間帯は何となく人通りが少ない。冬も半ばで冷え冷えする日々が続く。今日は雲もかかっていて薄暗いせいもあるのだろう。先ほどから流れてるラジオでは再三、雪についての注意事項を述べていた。
 角を三つほど曲がると住宅地は家の間が開いてくる。空き地、畑といった間隔が広がっていく。小さな山まで見えてきた頃に普通の住宅よりお屋敷といってもかまわないような平屋の豪勢な家が見えてきた。飴色に変色した塀は屋敷を覆って、上から丁寧に剪定されている松や紅葉が少しだけのぞいている。いつ見ても仰々しく、なんとなく人を拒絶するような作りの家だが自分はそんなに気にならない。月に一回は訪ねている。
 車を塀に沿って路肩に止め、車から降りると刺すような冷たさが身体を通り抜けていく。思わずドアを閉めたくなるが何とかこらえた。軍手をジャンパーのポケットから取り出すと手にはめ、とりあえず、門まで出向き小さなインターフォンを一押しする。遠くの方で音が鳴ったようなそんな気配がしてしばらく木枯らしに身震いしているとちょっと曇った声がした。
「ハイ」
 探るような声音の女性が聞こえてきて、若奥さんだなと判断する。この家の女性率はかなり低い。ほぼ男性であると言ってもいい。以前ほどいないが、たしか五、六人は家族の他にいるはずである。
「毎度お世話になってます。花房商店です。ご注文の品お届けに来ました」
「ああ、ハイ。どうぞ」
 許可をもらって自分はいったん車に戻る。後部座席のスライドドアを開くと座席ではなく酒のケース類がひしめき合っていた。ケースごとに名前が書いてあるのでそれを確認する。那智。と言う文字を確認して黄色いケースを引っ張り出した。ずしりとした重みを腰で支えて玄関に赴く。
「毎度でかいな。那智組は」
 そんなつぶやきで重々しい門を背中で開いて中へ入った。

 那智組といえば昭和の最初の頃、この地の誰でも知っているような大きなその筋の組だった。じいさん、ばあさんが少々知っていて、孫たちに近づかないよう含める程度であり、若い夫婦などは立派なお屋敷ねといってここを素通りする。今は組としては規模が小さく、この屋敷自体は親父さんとその息子夫婦、後は数人の元舎弟らしき人たちが住まうぐらいだ。しかも、親分である親父さんの娘さんは学生で結婚をし、その相手は普通の会社員である。

 足を踏み入れると緑の香りがする。冬だというのにまだそこそこ葉の残った赤い紅葉が据えられた庭は、竹を組んだ背の低い柵で仕切られている。砂利に足を踏み入れないように飛び石を踏みしめ、柵の方に近づく。だが、ふっとした気配に足を止めた。ぎくりとする。自分の態度につられたように抱えていたケースの瓶が震えた。柵向こうに人のような大きさの犬が鎮座している。ここの犬である。いつもであれば裏手の方にある大きな檻の中で大人しく寝ているのだが、今日は檻から出ているようだった。
「グレートデンだっけ……」
 厳めしい顔に身の丈のサイズ。筋肉が隆々なのがよく分かる。正直、自分は犬が苦手だった。小さいのならまだ、自分の方が強いだろ。と思えもするがここまででかいと勝てる気がしない。いったん、裏に回るのを止めて玄関の戸を叩くと暫くして戸が開いた。スキンヘッドの中年は眉毛のない眉をひそめながらにらみつけてくる。
「あー、あの、犬」
「酒屋、まだ犬だめなのかよ」
 スキンヘッドは気だるそうに奥を気にかけてから、あくびを一つした。だいぶ前から見かけるおっさんなのだが、如何せんスキンヘッドの眉無しで妙に屈強なせいか、年齢が全くしれない。数年単位で見かけているはずなのだが、年をとったかすら見分けられないでいる。スウェットの上着から腹に手を入れてボリボリ掻いてるのは起き抜けだからだろう。
「ヒトー!! 犬、避けろや!」
 ちょっとドスのきいた声で奥に向かって呼びかける。あまりの声にこちらの方がびくりとなった。しばらくの沈黙の後、とたとたと音がする。ヒトというからには彼なんだろうなと思うと自分が少しうきうきしているのが分かって思わずうつむいた。うつむいたのは顔がにやけるからである。
「なんすか?」
「犬。離れてるってよ」
「おまえかよ」
 降りてきたのは仁寿だった。スキンヘッドと違ってスウェットとかの寝間着ではない。ただ、この間のような趣味の悪いホストのようなスーツ姿ではなくて黒いシャツに白いハーフパンツといったちょっとチンピラ風になっていた。柄が悪いのは変わらないようだ。スキンヘッドの脇をすり抜けて引き戸の玄関に寄ってくる。反応してもらえないスキンヘッドは、慣れているのか逆に框にあがって部屋へ戻る途中だった。まあ、自分が仁寿に対して愛情表現をひけらかしてるのは那智家の住人たちには筒抜けなので--なにせ、初対面で鼻を折られているわけだから。変な心遣いなのだろう。
「仁寿ー。いやあ。犬が庭に出てて」
「えー? 慣れろよ。長いんだろここ」
 あきれ顔で見つめられて少々照れた。確かに仁寿がこの家に世話になるようになる前から、ここには出入りしている身分なのだが、どうもあのヒトの丈よりでかい、いかにも強そうな犬は苦手だった。たたずまいが普通じゃない。
 裸足で土間に降りていた仁寿が、先ほどスキンヘッドが突っかけてた草履を引っかけると、自分の脇をすり抜けて先陣を切って庭先に出た。その後をケースを抱えたまま追いかける。大きく黒い犬が仁寿に気づいて伏せていた身体を起こし立つ。しっぽが楽しそうに震えているが、その顔は今にも無情に人を襲いそうである。
「アーサー。おーし」
 そんな厳つい顔の犬を仁寿はためらいもなく手を出してなでると、アーサーといわれた犬の近くにあった竹柵の入り口を開けた。そのままするりと中に入り進むと犬は仁寿について行きスペースが空いた。遠慮げに自分はついて行くとその柵を泥棒のように足音を殺してすり抜ける。
「じ、じっとしててね」
 何となく声をかけるが、アーサーは仁寿の方が気になるらしくて自分には素知らぬ顔だ。仁寿にすり寄るようになついてる。仁寿も拒絶するどころかじゃれるように同じ目線に屈むと抱き込むようになでている。ちょっと犬になりたい。
「何で犬がだめなんだよ」
「それ、でっかいもん」
 ケースを引き寄せ、正直びびりながら脇を抜ける。割とすぐに裏手にでれるのだが、こちらは気が気じゃない。仁寿の方は特に気はないらしい。こともあろうに犬の背に乗るようにまたぐと大きな耳をくいっと動かし遊んでいた。
「アーサーはいい子だよなあ」
 犬の方は気にして仁寿の方を見上げてはいるものの、怒りがあるわけでもないようで大人しくしている。さすがに無理だわ。とそのまま勝手口に回るとケースを下ろして勝手口の戸を叩く。
「花房ですー」
 ぱたぱたという足音がして戸が小さく開く。隙間から伺うように挨拶をするとその扉は隙間を広げた。若奥さんが頷きながら戸を開けようとしていた。それを引き受けて扉を開く。大きなお腹を支えながらささやかな土間に足を下ろすところだった。

「ああ、そこでいいですよ。注文は、ビール半ケースと、みりん二本、醤油一本でいいですか?」
「ありがとー。やっぱ酒屋さんはこれがいいわね。便利で」
「八ヶ月ですっけ?」
「ううん。もう九ヶ月。あとちょっとなんだけど。動くの億劫でさぁ」
 茶色の髪を肩までのばした姿は若く、ついこの間まで学生だった名残が何となく顔にある。玄関から歩いてきたのだろう少し息が上がっているようだった。大きなお腹を抱えて歩くには小柄すぎるから仕方がないのかもしれない。
「買い物なんかは危ないですよ。うちの商品ほとんど瓶ですしね」
 そんなことを言いながら、みりんと醤油を彼女の立っているキッチン脇に置く。
「あ、ごめん、ビールも寄越してくれる?」
 言われて、ケースに入っている瓶ビールの方も次々キッチン床に出し入れしていく。彼女はそれを見ているだけだ。男手の多い家住まいなのでこういう部分は甘えがちだが、今はそれが逆に都合がいい。勝手口の段差はかなりきついので瓶を持って身体を上げるのは億劫だろうし足下が危ない。
「なんかあります?」
「頼んだばかりだから注文は大丈夫かな。ああ、外のビール瓶持っててもらっていい? 二ケースあるんだけど」
「はいはい」
 伝票を渡し代わりにお代をいただく。親父さんの奥さんの代からお得意様なのでやりとりは手慣れている。若奥さんの代わりに勝手口のドアを閉めると扉脇に据えてあった黄色いケースの中身を見てみる。ほぼ空であることを確認していると、いくつか開いてない物を発見した。これ、いつのだろうなどと考えてみる。少なくとも先月は前のような気がする。
「ちゃんと仕事してんのな」
「え?」
 振り向くと未だにアーサーと遊んでいたのか仁寿が犬と並んで座り混んでいた。犬は座るのすら飽きて伏せているのだが、その耳を弄りながら寝入るのを邪魔している。それは噛まれたりしないのかと疑問に思うものの、犬の方は少々邪魔な風に仁寿をチラ見するだけで意にも介してない。
「いや、会うたび、突進してくるから仕事してないのかと思った」
「何? やって欲しいなら遠慮なく行くけど」
「よし、アーサー行け」
 指さしされて犬が反応する。さすがに後じさりすると意地悪そうに仁寿が笑った。笑う仁寿はかわいいんだけど、ほんとに怖いんだ犬は。後ろに下がりすぎてケースがかしゃんと音を立てた。いっそう笑う仁寿にさすがの自分も恥ずかしくなる。アーサーは背中を軽く叩かれると中腰を止め、改めて伏せをした。かなり訓練されているようではある。だから怯えなくてもいいとは思えど身体は言うことを聞かない。
「なあ」
「なあに?」
 とりあえず、襲ってはこないようなので内緒で付いていた尻餅から腰を上げると、ケースに向き合う。背後では仁寿が何か悩むように呻いていた。座ったまま身じろぎしているようで土を擦るような音をさせていた。
「何でいつも、愛だの何だのって寄ってくるんだよ」
「え? そりゃ、好きだもん」
 振り向き、まじまじと顔を見ながら応えてみる。だが、それにたいして仁寿の反応はいまいちだった。嫌悪もないが好意の顔ですらない。首をかしげている。
「好きだとか、愛ってなんなの?」
 思いの外基本的なことを聞かれて、自分の方が首をかしげてしまった。自分として振り返ってみるが、何とも言葉にしづらい。どうなのかと仁寿をじっと見つめてみるが彼は照れるわけでもなく顔をそらすわけでもなく、子どものようにきょとんとしているだけだった。
 考えてみる。なんというか、気になるのが第一だ。気になるので視界に入りたくなる。そして、構いたいし、なんとなく相手にしてほしい。できれば触れたい。触ってほしい。
「んー。気にしてほしい? 仁寿を見てるよ。気にかけてるって知ってほしいかな」
「なにそれ、抱きたいとかじゃなくて?」
 唐突な物言いに正直焦る。そういう愛もあるだろうか、と思いながらも自分自身、気持ちはゼロじゃない。やましい思考に苦笑いがこみ上げた。
「直球だなあ。そういうのは確かめあう行為であって、感情としては別じゃないかな?」
「わからん。そりゃ気にはなるけど……すごい邪魔なときあるし」
 まあ、時折我を忘れて、突進してしまうときもあるのでそれは確かに邪魔かもしれない。
「だいたい、口に出しすぎじゃねえの? たまに声でかいしさ」
「うーん。正直に。というのがモットーだし、ちゃらんぽらんだからさ、一人に好意を示すの苦手なんだよね」
 商売関係なく、自分はわりと誰にでもなれなれしい態度をしがちだ。軽い口調で話しかければ、特に人間不信な人でなければ軽い態度を返してくれる。こういう態度は後で便利だし、集団で居たいときは簡単に人を集められる。寂しいのを押し隠して気持ちを誤魔化したいときには集団でいるのが一番いい。
「ちゃらんぽらんはわかるな」
「あーひどいなぁ、まあ、知ってほしいわけだよ。こんなに好きだよって。そしたら、花も咲くかなーと」
「はぁ? 花?」
「ん? なんかいうじゃん、愛を与えるとか捧げるとか、なんかそれしっくりこないから自分が勝手に言ってるんだけど」
 変な物言いをした自分に仁寿は素直に理解できないといった顔をしていた。自分が勝手に考えている完全に自前の解釈だけなのだ。
「気持ちを伝えて、アピールして気づいてもらえたら、相手には小さな種をまいたことになる。少しずつ近づいて、芽に水をやるように気持ちを伝えていって、相手に通じたらそれは花が咲いたことになると」
 捧げたり、与えたりといった言葉が単純に好かなかっただけなのだが、自分はこの解釈を気に入っていたりする。よくひけらかしてしゃべってみるが、だいたいの反応は同じだ。
「ふーん」
 仁寿もそんな相手の一人のようだった。まあ、この解釈をわかってもらえた試しはないので今更、傷つきはしない。どこまでも自己満足なのだ。
「まあ、あげる、あげない。よりはなんかわかるかな」
 意外にもそう続けられて、自分はちょっと戸惑った。ケースを丁寧に重ねようとしてたところの予想外な反応に思わず手を滑らせる。瓶が揺れてひどく危なっかしい音がした。
「まあ、愛の形はそれぞれだから、解釈もそれぞれだよ」
「いろいろ……いまいち愛情だとかそういうのわかんないんだよ」
 ケースを持ち上げると鈴のように揺れた瓶がかしゃかしゃ鳴る。若い年で家を離れて那智組の親父さんの近くにいるという現状からして、家庭内の事情も察することはできる。語らないことは聞かない主義なので、仁寿の前の生活はまったく知らない。ただ、順風であったとはいいがたいだろう。あの手の早さからして、修羅場はくぐり抜けているんだろうな。とは想像できる。
「いろんな愛があると思うよ。芽が出るかどうかは君次第だしね。オレはじっくり命を張って、芽が出るように水を注いでるだけだから」

「あー、傷のほうはいいの?」
 さすがに伺うような声に笑ってケースを示すように持ち上げてみせる。ついこの間、絡まれている様子の仁寿に突進していったら、見知らぬ方に立派な包丁を腹に立てられたのだった。実際は、仁寿が絡んでいたという逆の立場だったし、仁寿はその相手を容赦なくボコボコにして沈黙させ、自分はなんだか医師免許ってあるのか怪しいじいさんの元へ連れていかれて腹を縫ってもらった。数週間は起きあがれもしなかったが、今は無事に傷もふさがっている。せいぜい、湯上がりに痕を見つけてなんだか苦笑いするのみだ。
「ぜんぜん」
「あれは、悪かったよ」
「どっちかというと全面的に横やりでつっこんできた自分が悪い気がするけど」
「それもそうだけど、あんなの持ってるって知らなかったからな。あんたがつっこんでこなかったら……危なかったと思う」
 しみじみと語る口はなんだか少々、仁寿らしくない。物怖じしないのが彼の性格なのだろうと思っていたが、意外に気にする子だったようだ。そんな部分は新鮮で微笑ましい。
「まあ、お役に立てた。ってことで自分は満足だよ」
「ふうん」
 とりあえず、庭先をケースを抱えて歩いていく。アーサーの方は会話の流れに飽きたような、暇を持て余したまま寝ていた。寝ていても顔は立派な威厳を保っておられる。どうか、起きませんようにと心でつぶやきながらその脇を通り過ぎた。
「……受け止めたほうがいいのか」
 そんな言葉に、自分は少し不安になった。必ずしも訴えたものを受け取ってもらえるとは限らないのは重々承知である。男女ですらその確率は半々だろうと言えるのに、同性同士ではもっと確率は極端だろう。今、自分は仁寿のことしか考えて居ない。個人として気になっているのは彼だけである。今のところ、彼はある程度距離をとることはあっても、毛嫌いをするほどの態度はとられていない。真剣に、彼が今自分を拒否したら……そんな考えが頭に浮かんだとたん、情けないことに自分はビクついていた。
 怖い。全力で傾けている気持ちを避けられたらという怖さは、経験をしていても怖くてたまらない。そんなことに今更気づく。
「どうだろ」
 思わず言葉を濁してしまった。仁寿が唐突に顔を上げる。予想外の答えだったのか首をかしげていた。自分はそれ以上、踏み込んだことが言えず苦笑いをした。仁寿はその表情に何か感じたのか顔をそらすと犬の首をなでた。突然触られて犬が驚いて顔を上げる。自分はそのスキにケースをもう一度持ち上げると体勢を立て直すように息を吐いた。
「それが愛なら。考えてくれるのがいいかな」
「ん……」
 仁寿はなんだか心ここにあらずといった顔で考え込んでいた。悩んでいるような悲しんでいるような不思議な顔ではあったが、自分は、自分自身が立て続けに組み立てた勝手な解釈に混乱してるだけだと思っていた。

 その日から、仁寿は那智家から姿を消した。