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悲しいさが

 唇が重なる。熱い吐息が口の中へ入ってくる。弓弦(ゆずる)の顔が近いと気づくと,、千宗(ちひろ)は思わず目をつぶってしまった。
「お前もうちっとしろよ。経験ないわけじゃないだろ」
「それは……んっ」
 ない、といいきる前に口を塞がれる。今度は吐息だけではなく、舌が絡んできて千宗はまるで心臓が縮む思いがした。
 どうしてこうなったのか、ほのかに匂う酒の香りで理由は知れる。女好きを公言し、欠くことのない彼がこんな事態を引き起こしている理由も、千宗には少し解っていた。対して飲めない弓弦が酒を飲んでいる時点でおかしい。
 弓弦とは高校からの同級生だった。その頃から同性愛の自覚のあった千宗はクラスになじめず、女子にばかり慕われていた弓弦も男子からはあまり良い様に見られていなかった。孤立者同士なんとなく友人のような形になって今に至る。だがそれだけの仲で、弓弦がこういった意味で同性に興味がないことも千宗は解っていた。
「んっ……ふっ……んんっ」
 声が漏れるのを堪えてしまう。それに気づいた弓弦の舌が、きちんと動けと言うように舌先を絡めてくる。千宗は反応することを止めることもできず、かといって積極的になれるわけでもなく。戸惑いながら身じろぎすることしかできなかった。
「……意外に、平気だなぁ……思ってるより柔らかいのな」
 茶色い髪がどことなく疲れを表すように顔に垂れている。細い釣り目がこちらを観察している様で千宗は顔を伏せた。遠慮のない触れあいだが、彼のそれは自暴自棄のような空気もあった。弓弦は長く付き合っていた女性と別れたのだ。それについては少なからず、弓弦に原因があるのだろうと千宗は思っている。同居するほどの女性がいながら、外で違う女性たちと会っていたのを知っていたからだ。いずれと感じてはいたが、それは予想よりもずっと遅く、それゆえに弓弦自身のショックは大きかったようだ。
「や、柔らか、いってっ……」
 息が上がって、しゃべりがおかしくなった。顔が見られずに、俯いていて彼の首もとしか見えない。遠目からは細身に見える弓弦は間近で見るとそこそこのガタイをしている。と気づいて千宗は恥ずかしくなる。この距離は目眩のするような近さだ。人と肉体経験がないわけではない。それなりに人と関係はもっていた。それが仇になって、家にこもって仕事をする羽目になったぐらいの経験はある。
 社内の上司と不倫をし、それがばれての処分だった。クビにならなかったのは奇跡のようなものである。だが、ほとぼりが冷めるまで自宅勤務を命ぜられている。
 流される質なのが悪いと解っていても、断れない。現にこの状況が物語ってる。ずっと好きだった相手と気持ちを交わした分けでもないのに、こんな状態になっている。ぼんやりと考えて居ると、自分の胸元を大きな手が撫でてきて思い切りびくついてしまった。
「うーん。いまいち、わからん。なあ、どこ触ればいいん?」
「ど、どこって」
 目が彷徨う。着乱れた自分とまだきちんと着込んでいるが、もとよりだらしない着こなしの弓弦と見比べて顔が赤くなる。ほのかに赤い丸電球に顔を見られるような明るさがなくてほっとする。
「こっち見ろ」
 ろれつこそ回ってないが、目は据わっていていつもの弓弦とはどこか違う。胸ぐらを捕まれて、怯むがそれは別に殴られるわけでもなく首筋に食いついてきただけだった。
「ちょっ、ちょっ……あっ」
 のど元を銜えられるように舌をあてられてその熱さにひるむ。ねっとりとした感覚で舐めあげられ総毛立つ。ベッドに押しつけられるように倒されて、手当たり次第に甘噛みされる。吸い上げる音が耳に響き、戸惑いながらも反応してしまう自分に泣きそうになる。
「はあっ……あっ」
 途切れ途切れの声を抑えようと自分の手を噛む。興に乗ってきたのか、弓弦の吐息が口元が熱いと感じると否応なしに興奮した。ずるいと思った。人の気持ちを知りもしない癖にポイントは掴んでいるような、そんな弓弦の仕草がそれに素直に感じてしまう自分が。
「あっ」
 噛んでいた手を取り払われる。覗き込まれるようにして顔が近づく。とっさだった。首筋に外された腕を回し引き寄せる。自分自ら口を開き、彼をむさぼった。
「んっ……んう……っふ」
 愛撫ではなくごまかしだと自分でも解っていた。やけくそも含んだ感情だ。舌が絡み、腕の力も抜けていく。千宗の感情など知らないのか、反応のよくなった千宗に応戦するように舌を絡めてきた。胸をなでられる。驚きだけでそれ以上は身じろぎもなかった。足が絡んでいき、くちゅくちゅと音を立てて障り合ううちに、ぼんやりした視界に着ている物を脱ぎだした弓弦が見え、千宗はどきりとした。
「シャツ脱げ」
「え、ああ……」
 言われて、ほとんど脱げているシャツの残りボタンを外そうとしてもたついた。焦るものの上手くいかなかった。緊張を悟られたくなくて、千宗はボタンを外すのを止めて、そのまま脱ぐ。そんな態度も弓弦はたいして気にしていないようだった。一気に済ませたい部分もあるのかためらいなく身体に触れてくる。千宗はそれがつらい。
 自分がどこか恋愛ごとにそぞろな感覚があるのは知っている。何時のころからかというのは覚えがない。そういう事に足を突っ込むようになったときには自分は弓弦と知り合っていたからだ。
「いっ」
 唐突に皮の薄いところを吸われて思わず声が出た。思わず睨んだ先の弓弦は半分嗤っている。ワザとだと気づいてひどく狼狽してしまう。
「ヒロ。おまえ集中してないだろ。全然わかんないんだよ。気持ちいいとこ教えろって」
 知り合いでは弓弦しか使わない呼び方をされて、千宗は揺れてしまう。自分をさらけだして全部教えてしまいたい。がそれをしたら自分は消えてしまいたくなるだろう。
「触れば……それでいい……あっ」
「なでればいいん?」
 もそもそと模索するような動きは千宗には本来よりももどかしくてたまらない。だけれど、本当に愛撫でもされてしまえば、言わなければいいことすら言ってしまいそうだった。
「うあっ。あ……あっ……つっ」
 触るように胸を舐められ千宗は、大きく喘いだ。もういっそ、そういった声を上げて終わればいいとおもったのだが逆だった。気持ちいいと気づいた弓弦が必要以上に触れてくる。熱を持っていく千宗が面白いのか、強い力を込めてもくる。
「いっ……んあっ」
「気持ちいいか?」
 大きく首を振り、とにもかくにも早く終わって欲しかった。その癖、心情とは別のところでもっとと欲している自分がいる。千宗は触れればといったことをささやかに守っている。ゆっくりと、弓弦の手を取って身体を起こした。顔を上げた弓弦の熱に自分から触れて、ほんの少し迷ったような目をした彼の表情を伺った。だが、その心中はどこにあるのか解らない。千宗は女ではないが、状況がそうさせたのか、触れた彼のものはそれなりに熱くなっていた。
「……あっ」
 軽く舌を絡ませ、すぐに離すとその濡れた舌で首元を舐めてやる。半ばやけだ。張りのある肌は考えていたよりもすべらやかだった。ほんのりと汗ばんでいるのは男二人でごそごそしていた結果だろう。滲んでいる汗を拭うように舌で触れていると、戸惑いを消した弓弦が触ってくる。胸をなで腹をなで、腰元に触れると着ていたパジャマのズボンに手を入れてくる。さすがに怯んで身体が動いたがそれがまずく、浮いた腰から着ている物はするりと外れた。
 汗ばんではいたものの、さすがに触れる空気は冷たい。身体を縮めついでに逃げるように身体を横たえようとしたが無駄だった。巧みに間に身体を入れられ、あられもない姿になる。弓弦がそこまでしておいて、複雑そうな顔をしたので千宗は思わず半笑いになった。
「さすがに、触れないだろ」
 意地悪いと自分でも思う。弓弦がわかりやすいようにむっとするのが解って、千宗は変な優越に浸った。だが、それもほんの少しで弓弦は一つ呼吸を置いて触れてきて千宗は後悔した。
「んっ」
 もぞもぞと指を動かされ狼狽する。身をよじって逃げようとしても体勢はそれを許さず、弓弦があまりに抵抗する千宗に業を煮やして身を寄せてきた。舌が口に入り込んでくる。思いのほか淫靡に熱くて避ける気すら失せた。吸い上げて絡め、時折する水音に耳をすませる。下部に触れている手は、探るような手先から要領を得たのか、気がついたのか、触れ方は卑猥になっていった。口から漏れる絡みつく音とは違う、絡んだ音が下から聞こえてくる。
「んっ。ふっ……は」
 腕を絡め、距離を詰めると籠もるような淫靡な匂いがした。欲しいと思い、同時に怖く感じた。これ以上絡んだら、言うつもりない本音が漏れてしまいそうだった。だが、興奮は止められない。
「ぃあ……あうっ、もう、いいっからっはやく」
「っちょ、ちょっとま……てって」
 濡れた手を無理矢理とると腰をすりつける。どうすればという迷いのある弓弦のそれを手に取り、促すように浮かした腰にあてがわせる。正直、できるほど興奮してるのか怪しかったが、それは悲しいかな杞憂だった。
「は、いるのか?」
「平気……」
 たぶんという言葉を飲み込んだまま、身動きした。弓弦を抱くように肩に腕を回し、ほんの少し体重をかける。倒れそうになった弓弦の身体が体勢を整えて落ち着くと、千宗の足を持ち上げる。
「ぅっ……あっ! んんっ」
「くっ……」
 ゆっくりと進入してくるそれを受け入れる。千宗はきつく苦しそうな弓弦の顔になぜかどきりとした。気の緩んだ身体にじわじわ侵入してくるそれを受け入れていく。
「んっ……うう」
 引きずられるような感覚に目をつぶる。熱くて、苦しくてたまらず、身をよじりそうになるのを我慢する。触れるほど弓弦の顔が近いのに気がついた。唇に触れようとしてそれを止め、首筋に食いつく。こそばゆかったのか、弓弦の身体が震えて、強ばった力が抜けた。そのスキをつくように千宗は腕を絡めていっそう引き寄せると、耳を噛んだ。
「あっ……わっ」
 驚いた声に笑みが零れてしまう。だがそういった緩みを見て取った弓弦が動く。口を塞がれ舌が絡んだ。吸い上げるような音が漏れ、千宗の身体から力が抜けた。引き寄せられたのか、引き寄せたのか解らないまま互いを貪る。
「あっ、……んあっあっ、はっ……」
「っつ……きつっ、んっ」
 こすれ合うもどかしさが、熱になり身じろぎに変わる。それなのにかき抱いても足らないなにかがあって、千宗は弓弦の背中に回した手で彼の背を掻く。
「っつっ! いってぇよっ」
「あっ、ごめ……いっ、ああ!!」
 腹いせのように大きく突かれて千宗は大きく喘いだ。喘ぐだけでは足らなくて籠もった熱をはき出したくて溜まらない。無理な体勢と知っていても、弓弦にすがりつき震えた。
「ゆ……んっん」
 名前が零れそうになって思わず噤む。行為に煽られて気持ちが追いつかない。ともすれば気持ちが零れてしまいそうだった。--好きだと。
 なぜこうなったか考えると泣きそうになる。それをどこかで堪えるたびに、気持ちよさが苦痛に変わる。黙ろうとすると触れあってるからだが冷たい気がして怖くなる。
「は、早くっ」
 とっさに急かし、自分が動きを早めると弓弦が気持ちよさの混じった表情で困惑した。だがそれを見ないふりをするように、もう一度すがる。
「ちょっ……んっつ」
「んっあっ、はやっく……イきたいっ」
 弓弦がすりつけるように身体を動かしはじめ、千宗は自分の口走った言葉を後悔した。せわしない動きがただでさえ高ぶった感覚を追い上げる。声が出そうになって、千宗は苦し紛れに弓弦の舌に吸い付く。熱っぽい目がこちらを見つめてくる。腹の底を探られるような感覚がして、千宗は舌を乱暴に吸った。
「っふ、ん……」
 離れようとする弓弦の唇を追いかけては吸い付き、甘く噛む。欲していたものではありながら、どこか遠い。愛おしいがその想いが通じることはないと解っている。それ故にどこか別人のような自分が冷静に見ている。それでも熱は高ぶり続け、千宗はせめてと力一杯抱きしめた。
「はっ……あっふぁ……んあっ」
「っく。……はっ、つっ、いく」
「っ!!」
 一際、大きく動かれ、熱が身体に染みる感覚がして、千宗は弓弦を掻いた。強く掻いたせいか弓弦が耳元で苦痛を漏らす。その声が千宗の理性を飛ばした。ねっとりと自分の腹が温く濡れる。ありったけの想いをはき出したかったが、それだけはと弓弦にしがみつき、自分の唇を噛んだ。

 はたと気づくと自分は変わらずベッドに横たわっていた。事の済んだことによる落ち着きと、気だるさを感じて身を起こす。簡単に後始末はした気がするものの、乱れた様子に酷く気落ちをした。
 ため息をつき、重い身体をゆっくり起こす。風呂場の方でがたがたと、遠慮のない音がして動揺した。夢ではないとは解っていながらそうあって欲しいと思っていた自分がいて、千宗はなんだか惨めになった。
「なー。タオル、どれつかっていいんだ?」
 思いのほか、軽い声が聞こえて千宗はぐったりした。まだ感覚が残っていて、気持ちの悪い身体は起こす気になれず、気疲れした気力を何とか持ち直す。
「置いてある物なら、なんでもいいよ。洗ってあるから」
 そういうとまた騒がしい音を立てて、タオルを腰に巻いたまま弓弦が出てきて予想外の姿に千宗は焦った。先ほどまであられもない姿を見ていたはずなのに、こちらの方が気恥ずかしい。慌てて立ち上がると、入れ違いになろうとしたが、上手く力が入らずにたたらを踏んでしまった。よろけた千宗をとっさに腕を引いて弓弦が支え、千宗は羞恥で顔が赤くなった。
「わ、悪い」
「いや、いいけど、お前の方がつらいだろ」
 二の腕を掴んだ手は湯上がりのせいだろう熱い。さっきまでの触れあっていた熱さとは違うその熱が、その差を如実にさせて千宗は本当に倒れそうだった。弓弦の手を借りるのが恥ずかしく、必死になって立ち上がるとずるずると壁を伝って洗面台までたどり着く。
「大丈夫か?」
「いや、平気……」
 こんな風になったのは行為のせいではないので、千宗はどこか後ろめたい。鏡越しに弓弦が様子を伺うように佇んでる。茶色の襟足の長い髪がしっとりと濡れていて、先ほど汗ばんで昂揚していた彼を思い出した。気恥ずかしさを大きな呼吸で何とかやり過ごす。
「風邪、引くよ」
「ん? ああ」
 日頃も似たような過ごし方をしているのだろう、今更気づいたというような顔で弓弦は自分の姿を改めてみると、ぱたぱたと視界から去った。奥でがたついた音が聞こえているが、鞄や自分の荷物をあさっているようには聞こえない。千宗のタンスを漁っているのだ。気にしてそちらの方を覗くと、弓弦は自分が替えのパジャマにしていたシャツとスエットを着込んで戻って来た。着ようと思っていたのだが脱げとも言えず、千宗はため息をつく。
「大丈夫か?」
「え? あ、ああ」
 とりあえず、落ち着こうと顔を洗う。冷たい水が汗ばんでいた顔を浚っていってほんの少し、気持ちが安らぐ。後ろでは少々心配なのか、弓弦がどことなく伺うように佇んでいる。
「なに?」
「お前さ、いつもあんな感じなの?」
 風呂場に向かおうとしていた千宗は思わず動きを止めた。あんなという姿を思い出して、一気に顔が赤くなる。それを見た弓弦がにんまりと笑っていっそう恥ずかしくなった。
「し、知るか」
「いやまあ、男としたの初めてだからさ。勝手がわかんなかったけど」
「うるさい! 風呂入るから適当にごろごろしてろ。帰る気ないんだろ」
 一気に捲し立てて、いざ風呂場に入ろうとして、手をつかまれ千宗はびくりとした。何かされるのかなどとよくわからない、期待に似た事を考えてそれを打ち消す。
「なあなあ。また、しようぜ」
 耳を疑う言葉に、千宗は弓弦をみた。幾人もの女性をそういった身体の関係へ誘ったのだろう、屈託ない子どものようなそれでいて、大人の色気を感じさせる笑顔だった。心の底で、それを色っぽいと思ってしまった自分が居たたまれなくなる。少女のように胸を高鳴らせている自分が酷く惨めにも思う。
「勝手にしろ」
 嫌だとは言えず、かといって、うなずくわけにもいかず、千宗は弓弦の腕を軽く払うと浴室へ逃げ込んだ。扉を閉める前にみた弓弦は千宗の言葉を否定とは取らなかった。笑みを浮かべて、満足げなのが酷く心に染みる。熱いシャワーを強く流して、千宗は半分泣くようにうずくまって湯を浴びた。