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損なさが

「あっづ……」
 弓弦(ゆずる)は寝苦しさのあまりに起き上がった。ベッドが軋み音を立てる。朝日が部屋に差し込んでむやみに明るかった。起き抜けに、ベッドのサイドテーブルから、自分のケータイを手に取る。癖みたいなものだった。
 移動するのも面倒で、弓弦はベッド上であぐらを掻く。傍らにいた相手に膝が当たってしまった。まだ寝てるらしい相手に内心で謝る。変な笑いがこみ上げるのを何とか抑えながらだ。
「ん……」
 うっすらと汗を掻きながら横になっているのは、高校からの同級生でもある、同性の千宗(ちひろ)だった。背丈も体型もさして変わらない。男同士二人がセミダブルとはいえ、ベッドに二人いるのは狭苦しい。
「冷房、切らなきゃいいのに」
 冷房の風は嫌いなんだよ。という千宗の意見により、千宗宅の冷房はタイマーで切れるようになっている。時折、約束もせずに邪魔をして、ベッドを借りる弓弦としては、それに反対する立場もなく従っている。起き抜けはかなりつらかった。
 じわじわと汗が浮くのを手で拭いながら、閉じられたケータイの点滅を確認してふたを開く。千宗と違い、最新のケータイだ、スマホだに興味はないので、二つ折りのケータイである。しかも二年ぐらい経っている。
 いくつかのメールが受信されていて、古い物から順に処理をしていく。ほぼ女性からのメールで内容はたわいない会社の愚痴、誘いの言葉、ほとんど趣味と化しているバンドの曲の感想。弓弦はそれに、適当にメールを返す。
 メールの相手とは全員、身体の関係が一度はある。割り切った多恋愛を趣旨とする女性ばかりなので、今のところ煩わしさはあまりない。気が向いたときにメールをしてきて、それに返事をする。それと同じように、気が向いたときに相手と会い、触れあう。
 自分の性的なハードルがだいぶ低いのは自覚がある。何かが不足しているわけでもないし、不遇な人生を歩んできたこともないのだから、そう言ったことで歪んでしまった人よりも断然に質が悪い。
「みんなマメだね」
 半笑いで、愚痴とお世辞半分のほめ言葉に返信をする。だが、最後のメールの相手を見て、弓弦は手を止めた。懐かしいというにはまだ、生々しさの残る名前。小さなため息が出る。最後のメールは、つきあっていた彼女だった。同居もしていた。別れたはずで、言い出しっぺは彼女のはずだった。
「元気?」
 とだけ綴られたメールに、弓弦はどうしろとという答えだけが喉からこみ上げる。じわりと滲む汗がこめかみから顎をつたう。不快さよりも、じんわりと沁みるような胸の痛みを感じた。あと、理不尽な怒り。

 大学からの付き合いだった。長く付き合い、自分の男女関係に軽い部分も含めて、了承をもらって始めた付き合いだった。大学を出てまるきり関係のないミュージシャンなどという、不安定な職に就いていても、文句も言わずに一緒にいた。一つの部屋に二人で住み、弓弦にとって、そこは生活の必需品を置いてあるような、心の大事なところを置いているような、安心感のもと生活していたのだが、月日は人を変えるものだ。
 名声を得られるほどの音楽活動はできず、スタジオミュージシャンや講師を主にするようになって、関係はズレ始めた。気がついた時には、改めるにも、縮めるにも遠い距離が開いていて、別れるといわれたとき、弓弦は他の女性と同じ態度を取ってしまった。縋ることも、怒ることもせず。解った。と頷いてしまった。彼女はそのまま出て行った。
「わっか、んないな、女って」
 メールに返事することもできず、閉じることもできず、弓弦はケータイを遠目に見ながら、あぐらを崩した。傍らで寝る千宗に当たるが、今度は気にしない。呻いた彼はまだ寝ているようだった。子どものようなかすかな寝息を立てている。
 長めの髪に白っぽい肌。同い年のはずだが幼い顔立ち、普通だったら、友人にはならないような地味な相手だ。高校時、今よりいっそう地味で一歩違えば、いじめられた部類に入るだろう。孤立して、いつも席で静かに本を読んでいた。誰かが、彼の対応はどこか嘘くさい。あからさまな壁を感じる。と評していた。たしかに、たわい無い会話にも曖昧な笑みと曖昧な答えで、どちらともとれる答えをする。明言をせず、他人にゆだね、流されていようという態度は弓弦にも解った。
 卒業間際、千宗から自分がゲイであると告白された。なぜ言い出したのか、弓弦には理解しかねたが、知ったところで、何かされるわけでも、することもないだろうと適当に返事をした。今思えば、千宗は弓弦に距離を置いてもらいたかったのだろう。だが、弓弦はつきあう距離を変えなかった。必要はないと思っていたのだ。
 ケータイを放り、ぼんやりと徐々に蒸していく空気を吸い込む。傍らで千宗が大きく身じろぎしたので、さすがに起きたのかと伺ってみたが、熟睡をしているらしい、じっとりと汗を纏って、少々苦しそうに寝相を変えていた。柔らかい髪が顔に張り付いている。眉を潜めて、呻いているのは、寝苦しいからだろう。
「あー……」
 その千宗の表情にぎくりとしながら、頬に張り付いた髪の毛を軽く指先で拭ってやる。表情が動いたものの、それ以上の動きはない。こんな感じの表情をみたのは、メールの彼女と別れてしばらくした頃だった。酒が入っていた。いなくなって寂しくなるとはいったもので、弓弦は事を理解するうちに、一人でいることがつらくなった。かといって、別の女でそれを埋めることすらできなかった。原因がそこにあったのも解っていたからだ。
 相談する相手も、逃げる場所もなにもなく、唯一の友人だった千宗に縋るつもりだった。だが、気がついたらお遊びのようにだが、身体を重ねていた。発端が何だったのか解らない。そうなって初めて、千宗がゲイであったことを思い出したぐらいだ。双方ともに疲れてたのだ。千宗自身も恋愛のごたごたで職を失うところだった。互いに間が悪かったとしかいえない。弓弦のすることは、普段と一切変わらなかったから、思っていたよりも、簡単に越えられてしまった。汗ばみ、女性よりも固く、重い身体だったが、むさぼった唇や籠もった熱は女性とさしたる差はなかった。
「ばかだな」
 しみじみとつぶやいて、放っておいたケータイを拾い上げる。二つの物を失った気がして、泣けてくる。何があっても大丈夫などと、高をくくって、自分を許しながらも愛してくれていただろう相手を失い。唯一の友人としてそばにいた相手も、セフレと大して変わらない扱いをしてしまった。
 自分が千宗にしたことは、彼を他の女性と同じ関係にすることだった。茶化すようにまたしよう。と言ってみた。実際するかは解らない。千宗は曖昧に笑って見せただけだった。拒まれなかったのは、彼の優しさだとほんの少し期待して、未だに甘えている。こうやって、するわけでもなく、ベッドを共有している。
 千宗が何を考えて、拒まなかったのかは解らない。今更、確かめても仕方ない。確かめたところで何も言えないし、作った関係を壊すことはできない。壊すのであれば、おそらく自分は彼との友人という関係も切らなければいけないだろう。でなければ、誠実ではない。

「ん」
 メールが振るえる。マナーモードにしていたままだったのに気がついて、弓弦はケータイを開いた。誰だろうと考える事はしなかった。何となく解ってた気がした。
「ごめん、昨日のメール消して」
 ふっと、笑みがこぼれた。あのメールは、元とつけるべき彼女の、ちょっとした気の迷いなのだろう。自分が感じた寂しさを相手も同じように、時は違えど感じたのだと思いたい。
「あいつは強いな」
 だから好きだったのかもしれない。自分は別の関係すら崩して心を保ったのに、一通のメールと一晩で、彼女はそれに決別する。目頭に、汗が垂れ、涙と一緒に零れた。汗が不快でつらかった。