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朧月 白い首 私

 彼はいつもそこにいて、外へ出ることもなく寝ていた。
本家のほうから離れた小さな土蔵の2階が彼の居る場所だった。真珠のように白い肌、枝のように細い腕、鎖骨の浮き出た細い肩。華奢で男であるとは思えない。唯一変わらないのはいつも水を含んだように潤んだ瞳と伸びた長い髪で、彼を綺麗な人形のように魅せていた。
「浩朔さん、きてくれたの?」
 物音で気づいたのか細い首が揺れ、首だけを持ち上げて彼はその音のした方へ視線をよこした。薄い唇から声が発せられた声は思ったよりも元気で張りがある。
起き上がろうとするのを手で制して私は彼の寝ている傍らに腰を下ろした。
「元気そうだね。幸人君」
 私が聞くと彼は軽く頭を動かし頷いた。さらりとした長い髪が音を立てて揺れる。すこし嬉しそうな顔をしていた。安心したのだろう。ここに人が来ることはほとんどない。私は家の近くにある診療所で彼と知り合い、退院のとき母親に ―できれば、あの子の話し相手になって上げてください― そう言われて、住所を書きとめたメモを渡された。月に幾度か会うその程度の仲だ。
「昨日まで、暖かかったんです。今日はちょっと寒いけど」
「じゃ、私が寒気を持ってきてしまったものだね」
 私の言葉に彼は軽く微笑んだ。身じろぎをして居住まいを正すのに床についた私の無骨な手に白く冷たい手が添えられた。ぞっとするほど冷たい手は一回り大きな私の手をゆっくりと持ち上げて自分の頬へ当てる。
「浩朔さん、温かくて気持ちいい」
 肌の温かさが心地いいのか細い眼をさらに細めて、彼はうっとりとした顔をした。頬と手の冷たさが私の体温を奪い、閉じた瞳を縁取るまつげの黒と白い肌の鮮やかな光彩に眼がくらむ。輪郭のぼやけた月がこの狭い土蔵の格子窓から小さく細い彼を照らしていて、彼の肌はいつも以上に白く感じた。
「こんなところで薄い布団じゃ、良くなるものもならないな。親父さんには、ちゃんと言っておいたのだが」
 彼をこんな土蔵に追いやったのは彼の父親だった。本来の父親ではなく幸人君は母親の連れ子で彼らの中に親子としての繋がりは書類上のものでしかない。それゆえなのか、父親の職業が軍人ゆえなのか、荒い気質の父親には身体の弱い幸人君はあまりいい印象を抱かない。何より自分の息子たちは彼に負けず劣らず雄雄しくてだいぶ恰幅もよいので幸人君のひ弱さは、家族の中でもぬきんでて目立っていた。
 しかし、私が苦し紛れに出した話題は彼にとっては悲しいもののようだった。伏せていた瞳が苦痛をこらえるようなそんな悲痛な表情に歪んでしまった。私はしまったと内心で呻いた。
「家の人は体の弱い私が家に居るのを好んでませんから。それに家にいるより、ここの方が気が休まります」
 雄雄しい父親と兄弟のいる本家は彼にとっても苦痛でしかないらしい。弱弱しい男は男ではないと私も初対面のとき言われたクチである。私は自覚もあるからいいが、彼は自分の身体の弱さを少し悔いてる様子がある。自分でもどうにもできないことを責められるのは、私の自覚のある欠点を突いて言われるのよりつらいのだろう。
「……あんまりして欲しくない話だっ……」
「それに」
 私の惨めたらしい弁解を遮る形で彼は短く言葉を切って少しばかり照れるような仕草で微笑んだ。鈍く差す月明かりが雲の流れで揺らめいて、彼の表情は微細に変わる。影の所為だろうと思うが私は何かよからぬ想いが胸のうちに燻るのを感じた。
「ここは、浩朔さんが来てくれるから」
 手が熱い。年甲斐もなく私はどこか焦っていた。耳元で自分の脈が乱れているのが聞こえてくる。私は何を考えているのだろう。
「……幸人君、起き上がれるかい?」

 月明りが彼の白い首筋を撫でる。ゆっくりと雲の流れに揺らめく月が覗く格子窓を背にして私は包むように彼を抱いていた。彼は私が呼んで抱きかかえてからずっと私の手を離さない。指先を触ったり、手のひらをつついたりしてまるでおもちゃのように遊んでいた。そして時折、頬に当てて私の体温が自分になじむまでじっとしている。彼がそうやっている間私はずっと彼を抱えたまま身動きが取れなかった。
 背を預け足に乗るような形になっている彼は私が思っていた以上に軽くて儚かった。間近に見える白く細いうなじに白襦袢から覗く細い足が一見して少女のようにも見え私は無駄に焦ってしまう。だが、骨張った体つきは薄くとも少年のもので堅く薄い。女のようで女ではないだが男にも見えない……そう性別などない、それが一番しっくりくる。胡乱な知識だが、基督教に出てくる天使のようだ。
 私はもてあそばれていた手をゆっくりと動かした彼が何かをするのだろうと察したのか手はあっさりと彼の細い指から離れ握られていて暖かくなった部分が冷たい空気に晒された。そこだけがなぜか熱を持ったように熱く感じて胸がざわつく。その手で彼の肩を抱く顔をかがめて近づけると甘い匂いがした。彼は小さな身体を少しだけ動かしただけで身動きしなかった。彼の瞳がみれなくて代わりに薄い鎖骨を眺めた。骨が白い皮を押し上げてくっきりとした流線を描いている普段も彼の鎖骨は隆起が激しい、それはあまり肉が付いてないせいだ。ただいまは、それ以上に肩に力を入れていた所為で鎖骨の隆起は強ばっていた。私の行動に驚いたのだろう。私が呼吸をすると小さく震える。
「……幸人君、私のところに来ないかい?」
 私はなにを言っているのだろう。私ですら驚いた自分の言葉に彼は肩を震わせた。怯えてしまったかと思ったが、彼は不思議そうに月明かりに紺に光る瞳で私を見た。
「浩朔さん?」
 私は慌てて取り繕う。自分ですら考えてなかった発言に私は彼以上に焦っていた。
「い、いや、こんなところで過ごすよりは、私のところへ来たらどうかなと思ったんだ。ん、診療所も近いしね」
 月明りが緩む雲が流れているのだ。ひときわ厚い雲が動いたのか月が覆われ格子窓の隙間から光が消えた。まるで私の心を見透かして諌めるようだ。沈黙が長い。彼は私の中で身じろぎ一つすることなく黙っていた。そして雲が切れると同時に私の腕を彼の手が撫でた。どきりとする。触れた部分が熱くなったような気がした。
「僕は、浩朔さんと居られるなら一緒にいたい。……ここは窮屈だから」
 恐る恐る彼の首筋に顔を寄せたまま彼の言葉を聞いた。そしてゆっくりと伺うように彼を見た。幸人君は月明りに笑顔を浮かべていた。春先の雪解けの瞬間のような晴れ晴れしくけれど何処か切ない笑顔だった。
ああ、ここが嫌だから、窮屈だから私の言葉に賛同したのだ。消して私の良からぬ想いを察したわけではい。そうだったなら彼は私から離れているだろう。
 底が知られそうで浅ましい自分の気持ちが惨めだった。彼の笑顔は私を消しそうで私はまた目をそらした。俯いた先にあった首筋が光に反射している。厚い雲は月を撫でるようにしてそのままどこかへ流れていったようだった。月明かりに血管が青く浮いている。鎖骨が線を描いている。小さな峰は彼の細いすべてを語っている。長くはない。だけれどもこんな暗がりに置いてはおけなかった。
「あ」
 彼が声をあげた。私は無言で彼の首を撫で、浮き出た鎖骨をなぞった。無骨な手には馴染まない細く柔らかな肌をゆっくりとなぞる。彼は声を上げただけで身じろぎもしなかった。月が私を見ている。照らす背中が冷たい私の行動は見られている。きっと心の奥も見られている。
 いけないことだろうか、悪いことだろうか、月の視線が私を苛む。小さな彼を好いてることを月は冷たく見つめてる。言葉など返すことなく、月はただ惨めな私を晒してる。いや、それは言い訳だ。私は今していることを後ろめたく思っているだけなのだ。
知ってほしいが知られたくない。目を閉じてくれ。私の奥を見ないでくれ。