Novel

2話

「それであんとき、途中で倒れたんだっけ!」
「それは、お前があんな無茶させるから!」
 軽く食事を外で済ませて二人はすぐにホテルにも戻った。帰りがけにコンビニにより肴と酒を買いこんで飲んでいた。普段であれば呑まないのだが、亮太は今日ばかりはと口にしていた。
「いやあ、あれは楽しかったな……」
「へべれけで、道ばたに吐いてたじゃないか」
「……それはもう、忘れてくれって……」
 数十年も前の失態をこの間のことのようにいわれて亮太は苦笑した。二時間も三時間も延々と飲み続けて、ひたすら酔っぱらったのは学生時代だ。
「なんか、ずっとそうやって生きてくもんだと思ってたが」
 ふと口にして、楽しげに笑っていた明石がふと真顔になる。場を乱した気分で居心地が悪く、缶に口をする。ビールは苦く泡はお情け程度にしか立っていなかった。ひどく苦い。
「まあな……。お前の、奥さんとかのときもそれなりに驚いたが……そのときとはもっとこう、なんともいえない」
 学生から社会人になって、会う頻度はひどく減った。その中での結婚と出産だったので、明石はあまり亮太の家族と面識がない。草薙とは同年に似たような歳の差の女性と結婚したのもあってか、家族ぐるみでそれなりに付き合ってはいたものの、四十を過ぎても独身を貫いてる明石とは外での付き合いになりがちだった。
「明石は俺が結婚したあとはあまり会わなくなったからな」
「いや、悪いと思ってさ……。独りもんの扱いはややこしいだろ。家族話はできないし」
 過去、草薙とともに明石を家に招いたときのことを浮かべながら、亮太は明石の言葉に納得する。まだ、亮太も家族がいたし、香奈は妊娠していた。当時、草薙も長男を出産して成長を楽しみにしていた時期だったので、話題はそれとなく家族や、子どもの話になっていたように思う。
「ま、そうか……」
 同年代で学生時代を過ごしたせいか、家族とはまた違う繋がりを感じていたような気がする。さすがに歳を重ねて互いに忙しくなり会わなくなっていったのは事実だが、誰かが提案すれば時間を作り、語れば互いにわかるという仲は変わらなかった。
「死ぬのは早いよなどう考えても……」
「うん」
 亮太は俯いて自分が持っていた缶を眺めた。身内が亡くなったときは悲しみに浸る間がそれぞれになかった。香奈のときも雄太のときもそうだった。葬式という儀式をこなし、今後を考えることで精いっぱい。気づいたときにはその事実に目を向けられなくなって背けた。長い間、見なかったことにして向き合ったのはここ最近だ。
「亮太、大丈夫か?」
「え? ああ、大丈夫だよ。さっきも電話でいわれたよ」
 先ほどから明石に限らず、電話越しでも秋人からそう声をかけられたのを思いだして、なぜこうも心配されるのかと半笑いになった。
「いや、お前、ショックなことあると黙るだろ、大学んときにフラれてたときとか」
「あ、ふ、フラれたのは! あれは、相手が他人と付き合ってるのを知らなかったから……」
 過去の恋愛の失敗を取り繕いながら、自分の気分の態度が丸わかりであったことに亮太は恥じて焦った。自分では意識がなかったのだ。日頃なにがあっても慌ててはいけないと思いながらも、その態度は逆に、昔ながらの友人の明石のみならず、秋人にも丸わかりだということになる。
「普通、そこらはアタックする前に聞くだろ」
「そ、それはそう……」
「まあ、いいや、思ってたより凹んでないようだし」
 取り繕いを遮られ、話を完結されて亮太は気持ちの上で右往左往した。口を数度ぱくつかせ、居たたまれなくなって缶を軽く煽る。気が抜けて苦みしかないビールはひどく不味いが、それよりも過去話の方が苦々しい。
「なあ、電話の相手って?」
 明石は呑むのに飽きたのか持っていた缶を一気に煽り、ベッドに横たわりながら亮太を見た。その顔は赤らんで酔っていることが一目瞭然だ。ただ、目は虚ろなようでしっかりと亮太を見ていた。
「……ん」
「いい人か?」
 一瞬、誤魔化そうか、考えて口を閉ざした。明石なら単純に納得してもらえそうな気はするが、いうのであればきちんと場を踏まえたいしと考えが巡る。隠した方がいい関係だが、気持ちに嘘をついてまで隠したいわけではない。
「ああ、心配かけて、電話してきたんだ。急だったから」
「ふうん。けっこう頑なだから、一筋だと思ってた」
 面白がるかという懸念は杞憂に終わった。明石は軽い返事のまま天井を眺めている。亮太の方は、次になにを聞かれるのかと内心動揺していた。秋人のことを聞かれるということよりも、いい歳をして恋愛をしている自分が恥ずかしかった。
「順調? 結婚とかするのか?」
「いや、その、いろいろと問題があって」
 同性で結婚という流れはどうなるのか判断すらつかないし、これから、どうなるかも予測できない。居たいと願っても、同性であることと歳の差のあることと二つの課題がある。秋人の未来をつぶすようなら自分の気持ちはどうあれ、離れた方が秋人の将来にとっていいのは事実としてずっとある。
「なにだよ。まさか、不倫してるとかじゃないな」
「あ、あるわけないだろ!」
 訝しげな目を投げかけられて、亮太はほんの少し焦った。事情をすべて話したらどこまで驚くのだろう。と考えながらも口は開かない。
「そのうちな……」
 かろうじていたのはそれだけだった。
「うん」
 明石は特に追求することなく小さく返事をしただけだった。大きな身体を丸めながら背を向ける。
「お前は、偉いな」
 しばらくの沈黙の中、明石のつぶやきが聞こえた。つぶやきの意味を計りかねて亮太は顔を上げた。まだ明石は背を向けたまま微動だにしない。
「……なにが」
「いや、そうやって、乗り越えるだろ。愛しあった人間の死を見取ってもまた、人を好きになって大事にしてる」
 もごついたあげくのセリフに亮太は飲みかけたビールを零すところだった。なんとか持ちこたえ、垂れる程度で済ませる。
「あ……いとかそんなご大層なものじゃ……なにより自分は半端だよ。長い間、受け入れてはいなかった」
「……そうなのか。俺はそういうことに直面する前からそれを怖いと思ってるよ。大事に大切にして、でもそんなの壊れないとは限らないだろう。草薙みたいに」
 明石はあえて、お前の奥さんのように。という言葉を飲んだように見えた。傷つけると思ったのだろう。彼なりに気遣ったのだろう。
「まあ、臆病だからここまで独りなんだけどさ。お前は、その、大事に思う人をまた改めて見つけたんだろうし、好きなんだろ? 今の人」
「うん。大事だよ。今は申し訳ないと思うことだらけだけど」
 隠し事にならざるを得ない関係であることは申し訳ない。自信を持っていられるかといえばそれはやっぱりないが、乗り越えたいという思いはある。できうる限りなら二人で。
「やっぱり、すごいよ」
「すごかないよ。俺は少なくともその子がいなかったら、今も香奈たちを受け入れてなかっただろうから」
「ああ、そういうことか」
 半分笑みじみた声に聞こえ、亮太は顔がじわじわと恥ずかしさに染まるのがわかる。
「……草薙の奥さんは大丈夫かね」
 言い訳を考えようかどうかと焦っている間に明石の話題は逸れていた。ほっとすると同時に、憔悴して放心気味だった女性を思いだした。挨拶をしても胡乱でその代わりなにかに気づくと慌ただしく動いていたように思う。
「……心配だな……」
「うむ」
 胃が苦しい。飲んでいた酒が胃の中で膨らんだような気がして亮太はサイドテールに飲みかけたビールを置いた。明石が同時にベッドから立ち上がり伸びをする。
「シャワー先に使うわ」
「ああ……」
 部屋から明石が姿を消して、薄い壁越しに水音が聞こえてくるのを思っていたより大きい音だとしみじみ感じながら、亮太はベッドに横たわった。電話で死因はくも膜下出血だというのは聞いた。社長という肩書きで数える程度の従業員をまとめ奔走していた。身体だけは大きく、丈夫だから少し無理しても大丈夫などとよく電話越しで笑いあってはいたものの、そんな言葉は身体には意味のない言葉だったことになる。今更ながら、酒が身体を染みわたったような気になり頭に手を置いた。
 声のでないため息がでた。死なない人間はいない。そんなのは亮太は百も承知だ。理不尽な死も誰しもある。亮太はその可能性も身をもって知っている。だが、理不尽な可能性を納得できるわけがなかった。
 腫れた感覚のまぶたを閉じて聞こえてくる水音に耳を傾けながら押し黙る。一瞬壁越しに聞こえた暴れるような音を亮太はあえて聞かなかったことにした。

 退屈。といってしまえばそれまでの形式だけの葬儀が続いていた。心底、面倒くさそうな顔をしているものもあれば、緊張となんともいない悲痛を抱えているのもいた。亮太はどちらかといえば悲痛だった。ささやかながら頭が重い。傍らの明石は憮然としていて怒っている様子にも見えた。硬く目を閉ざして寝ているように見えるが眉間によった皺は力が籠もっている。
 意味の捉えがたい読経のリズムを耳に乗せながら、なんとなく喪主席の方へ目をやる。家族だけではなく関係者がまとまって座っているので、そこはいっそう寂しさが漂っていた。ひときわ目立つのは、学生服に身を包んだ少女とその傍らで見るからに着慣れていないスーツに身を包んだ青年だった。草薙の息子と娘だろう。大きくなったという歓心と悲壮な表情に亮太は複雑な気分になった。
 あまりにも単調な儀式の中で、亮太は自分が喪主となった葬式のことを考えてしまった。なにを考えていただろう。息子のとき、香奈のとき。悲しんでいたかどうかは怪しい。感情的はなかったと思う。だが、今はそれを後悔していた。
「おい」
 つつかれて亮太は顔を上げた。司会者らしき冷静な語りかけで一般席の焼香がはじまっている。思考が四散する。ぎこちなくにわか知識の葬祭マナーを思いだしながら亮太は焼香を済ませた。立てかけられた遺影の写真は笑っていた。写真の中ですら、亮太の覚えのある草薙の姿とは違いがあって年齢と会わない月日を感じる。もっと積極的に連絡をとればよかった。煮え切らない想いがずしりと気持ちを重くした。
 静けさの出棺が済み、明石と亮太はそのまま火葬場まで行くことにした。出棺のときに奥さんから話しかけられたのだ。断る理由はないとバスに乗り込んだ。そこは郊外の丘じみたところで、あたりまえだがそこは人気が少なかった。棺が炉前に運ばれ、業者らしい男性がもう一度お顔をと促す。明石はそれに向かっていったが、亮太はもう顔を見るのは遠慮した。ただ、炉前に据えられた遺影に深々と手を合わせる。なにかを想うわけではなく。ただ、それだけをした。数十分はあっただろうか、また業者が仕切り、ひとしきりの黙祷のあと。棺桶は小さな入り口に消えていった。
 火葬を終えるまで時間がある。待合室に通された。軽い昼食が配られ、だれもが食しながら小さな雑談の中に時間が過ぎるのを待っている。親族も混じっているのかご両親らしき姿に声をかけているものもいる。亮太は配られた弁当をそこそこ抓んでぼんやりしていた。明石はタバコを吸いに館外へでている。室内は禁煙だ。
「あの……牧野さんですよね」
 声をかけられ身体をひねると、傍らに固い顔の女性がいた。手には酒瓶を持っている。どうやらお酌に回っているようだった。
「あ、いや、このたびは……」
 亮太は慌てて身体の向きを整えると平伏して挨拶を述べる。会ったのはいつだったかという記憶も曖昧なものだが、どことなく見覚えがあった。
「いえ、突然のことで、お手間をおかけしてすいません」
「そんな、教えていただいてありがたかったです。このところ……会えませんでしたから、最後に会えてよかったです」
「そういっていただけると……ありがとうございます」
 深々と平伏する彼女に亮太も慌てて平伏する。なんともいない沈黙が二人を沈め、顔を上げた彼女が酒瓶を捧げた。両手を慌てて掲げて、手ぶらであることを示した。昨日も飲んで、今日もというのは控えたい。
「あの」
 立ち去ろうとした彼女を止める。彼女は立ち上がるのをやめてまた座った。目が不思議そうにこちらを向いて亮太は少し焦った。
「なにかあったら、遠慮なくいってください。友人の家族なのは変わりませんから」
「ありがとうございます……」
 簡単な挨拶で去っていく彼女の姿になにかいえばよかったかと後悔する。体裁じみた言葉しかでなかった。こんなもんかと情けなくなる。ため息をついて前を向いたときに目の前が影になった。何事かと顔を上げる。
「かあさん。実恭がトイレに行きたいって」
「え? えっと。外じゃない? 火葬場の人に聞いて」
 慌ただしく母親がおもてなしに回るのを、頭上の青年がため息をついてどことなく諦めた風に顔を下げた。亮太は居づらくて身を縮めている。草薙の息子だろうとはわかるがあまりに顔立ちが草薙に似ていて一瞬驚いた。同時に顔を見あわせたので互いに驚く。どうやら部屋の縁に人がいるとは思わなかったらしい。
「あ、すいません」
「いや、えーと。茂之くん?」
 青年が眉を潜ませ亮太を見つめる。小学校だか幼稚園だかそんな時期に会ったきりなので覚えているかは怪しい。なんとなく笑みを浮かべてしまうのは、秋人の歳の差とそう対して違わないのに気づいたからだった。
「大きくなったね。……小さなときにうちの子と遊んだことがあるよ」
 笑みの想い先を悟られまいと誰もがいうであろう言葉をいう。余計胡乱な目をされてしまった。だが、思い当たることがあったようでその表情も緩む。
「あ。親父の同級の」
「ずいぶん昔だからね。覚えてないか」
「すいません。なんとなくは……実恭がまだ居ないときですよね」
「そうだね。生まれる前だったね」
「お兄ちゃん……どこー?」
 呼びかけを聞いて彼が顔を上げた。廊下の入り口で制服姿の少女が不安げにしていた。茂之がはっと顔を上げて戸惑う。
「すいません。今行くから」
「大変だろうけど、がんばってね」
 促すように目線を少女の方へ向けると、小走りに茂之が去っていく。礼を述べるように去り際に頭を下げられた。顔立ちが草薙に似ているせいだろうか。体躯はまるで違うのに彼を彷彿とさせた。大きな体躯に似合わず気遣いでマメだった。じわりと沸いた寂しさに席を立つ。ざわついている待合室をでると外へ向かった。
 煙突からささやかな煙が伸びている。あの煙はただ肉が燃えるだけなんだろうか目に見えないものも含めて空へ向かって消えていくんだろうか。頼りなげな煙を追いながら亮太はぼんやりとしていた。
「煙以外も見えるのか?」
 間近に煙突の煙とは種類の違う煙が間近に漂う。いつの間にか、傍らに明石がいた。タバコを加え小さな携帯灰皿を手に持っている。
「どこも禁煙ばっかりだ」
 どうやら据え付けの灰皿を期待していたらしいがそれは設置されていなかったらしい。小さな灰皿では吸う数が限られるのだろう。仕方がないといえば仕方がない。そういえば自分の職場も喫煙室ができて喫煙者は追いやられている。少し前は廊下で吸うような姿がよく見られたが。分煙の流れなのだろう。吸わない亮太は明石には悪いが少しほっとしている。毛嫌いするほどではないが、気持ちいいものでもない。
「あれは、草薙が燃えてんのかな」
「……どうかな? 一括で煙を吐き出してるんじゃないかな。他にも居ただろう」
 仮にも行政仕事なのだから、一日一件ということはないだろう。似たような集団もいくつか見ている。
「どこ、行くんだろうな。煙は」
「消えてなくなるんだろう」
 空に消えて霧散していく。タバコの煙と同じで、それ以上の意味はないとも思える。亮太はそう感じながらも声には出さなかった。明石も黙っている。ただ空を迷いながら消えていく煙を互いに見ていた。
「自分も、ああなるのかね」
 唐突につぶやいた明石の言葉はどこか無感情で響きのないものだった。寂しさや、恐怖は感じないただ漠然とした考えを口にしただけのように聞こえた。亮太はそんな響きのない言葉に恐怖を感じる。紛れもなくそうだろう。死なない人間はいない。あたりまえのことである。
「なるだろうな……いずれは」
「そんときゃ、俺は大事な人になにか残していってやれてんのかね」
「……なにか?」
「現実的な話としては、財産とか家だとか……。精神的な部分でいえば、思い出というか、絆っていうか、俺がいなくなっても支えになれる存在感とか」
 空を眺めながら遠くにつぶやく明石になんとなくおかしくなった。とはいえ本人は真面目に考えているようで苦笑はかみ殺した。
「それは、まあがんばるしかないだろうな、まず、大事な人を作れよ」
「はは、そりゃそうだな」
 頭を掻いてどこか誤魔化そうとしてる。亮太は無粋ながらも明石の女性関係のことを考えた。とっかえひっかえというほど頻繁ではないが、それなりの関係をし、別れを繰り返しているように思えた。長続きとはいかないが短いこともなく、相手を無碍に扱うわけでもない。別れたあとも縁がなかった程度の言葉だけでさして愚痴るわけでもなく、責任を感じているようでもない。踏み込まない関係は彼が望んでいることでもあるのだろう。
「できるのかね。いい歳も越えたろ。今更という気もするし」
「それはお前次第だろ」
 明石が笑った。つられて亮太も笑う。どこまで本当に考えてるかは明石の笑みからは見えない。理由はなんであれ、彼は彼なりの人間関係を築いている。意識しているか無意識かはわからないが、その流れるような距離感は彼の安心できる関係なのだろう。器用すぎて不器用になれないのだ。
「考えることじゃないよ」
「大事な人がいると違うね」
 茶化されて瞬時に恥ずかしくなった。落ち着きを失って取り繕うようにスーツの裾を整えた。
「草薙家の関係者の方ー」
 ちょうどホールから手招きしている業者らしき姿が見えて、明石がタバコを携帯していた灰皿に押し込んだ。内心、ほっとしながら亮太も髪を整える。
「行くか」
「ああ」
 含んでいたのか残っていたのかため息とともに煙を吐き出した煙を抜け、明石のあとへついていった。ホールに入る前に煙突を眺めてみたが煙はもう見えなかった。

 こんなに小さいものなのかと思うほどに、骨となった草薙は小さかった。形を変えた友人を目の当たりにして亮太はさすがに悲しみを感じずにいられなかった。しんみりとした空気の中にすすり泣く声も聞こえる。だが、亮太は泣く気にはなれなかった。数分足らずでそれは白い箱の中へしまわれた。
「顔、青いぞ」
「うん……」
 脇から明石に注進されただうなずく。もう、草薙はこの世にはいない。そんな事実が目の前にあって憔悴してしまった。骨箱を抱え一礼する家族が悲痛さを増した。ぞくぞくとバスに乗り込み精進落としの場へと移動する中、もやついた気持ちを整理できずにただ目をつぶっていた。あからさまな姿を見て、やっと悲痛に暮れている自分が情けない。
「最後までいるのか?」
 バスから降りた先で、明石にとわれ亮太はどうするか考えた。日は落ちかけていて夕方と入る時分。バスから降りた人々は祭事の入り口でたむろしていた。指示を待っているのだろう。
「……いや、帰るよ」
「そうか」
 無性に寂しくなってしまった。遅くなって帰宅できなくなるのも問題だ。秋人に長い間留守番させるのも悪い。どことなく理由を後づけしているようで情けなかったがそう決めた。辞する旨を伝えに喪主を捜す。葬祭の係員らしき姿と相談をしている姿を見て、近寄る。近くには息子と娘も佇んでいた。
「あ、すいません。今案内しますので」
「いえ、あの申し訳ないんですが、帰ろうかと」
「そうですか。……お忙しい中、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそありがとうございます。……見届けることはできましたし」
 定型な会話を繰り返し、頭を下げる。それ以上、言葉をかけたいようでいてなにがいいたいのかは散漫として消えていてしまう。どことない隔絶感を抱きながら意味もなく慌てた。
「あ、の、我慢なさらないでください……」
「え?」
 家族総出できょとんとされてしまい、亮太は恥ずかしさが増した。一礼すると、返しも待たずに出口に向かう。声をかけてきた明石に生返事をしてそのまま葬祭ホールをでた。