Novel

1話

 亮太が草薙元也の死の知らせを受けたのは昼を過ぎ午後の業務を開始して数分してからだった。慌てて家に帰り、諸々の用意をしてから電車に乗った。運がよかったのか新幹線には間に合った。
 なかなか来ることのない町に戸惑いながら、電話越しの奥さんから聞いていた住所をタクシーに告げてたどり着いた。黒い喪服を着た人間がそこそこ来ているようで夕を過ぎた一軒家はざわめいていた。温くなってきた風が吹いて思わず首をすぼめる。ざわめきが心の奥に染みるようで亮太は気が沈んでいくのを感じた。
 なんともいえない気分で亮太は弔問と焼香を済まし、促されるままホールにでた。
「お、亮太?」
 唐突の声になんとなく俯けていた顔を上げると見知った顔があった。短髪の濃い顔の巨体が見てくれからは想像できない軽やかな足取りで側に寄ってくると背を叩いて押される。
「ああ、明石」
「お前、大丈夫か?」
「うん。仕事は切り上げてもらって明日も一応休みをとってきたよ」
「……そうかぁ」
 なんとなく歳を感じる。明石の顔にどれぐらい前にあったのが最後か亮太は模索しながら笑いかけた。気落ちした気持ちの中でなんとなくほっとし、流れのままその人の輪に入った。
「大野? 痩せたな」
「忙しくて、飯食う暇がないんだよ」
「今ぐらいがちょうどいいだろ」
 大学時代はそこそこ丸かったと邂逅しながらも落ち着きのなさにその頃の雰囲気が残っている気がして、亮太は少しばかり安心した。つつくような仕草で茶化す木村に微笑ましく見える。がそんなほっとする空気もすぐに消えてしまう。がやつく斎場はどこか気が置けない。なじむような場ではないのだ。
「急だったな……」
 黙るのがつらいのか、明石がポツリとつぶやくと周囲の空気が一段下がった。懐かしい久しぶりの空気から今の状況を知らしめる。
「ほんとだよ……」
「奥さんから聞いたけど、突然だったみたいだな」
 亮太は静かに佇んでいた女性を見かけたのを思いだす。物思いふけるような目線に声をかけられなかった。左右にいた青年と少女は家族なのだろう。青年の方は見覚えがある。小さなころにあった記憶。それとなく草薙に面影がある。しばらくたたずむ中で、大野がきょろきょろと辺りを見回すと、もじゃついている髪を掻いてケータイを取りだすと弄りだした。
「いやさ、実は三日ぐらい前かな、電話があってよ。しばらくしたら落ち着くから、飲みに行こうっていわれたんだよ。みんな集めてってさ」
 空気が重い。ケータイを弄りながら、鼻をすすりだした大野は赤く腫れた目をこちらに向ける。どちらも、苦笑いしかできなかった。亮太も寂しさを感じてやりきれない気持ちを抱える。空気が重くなる。なにかしらで会うときはたいていこのメンツだった。そしてそれも誘いはじめはいつも草薙からだった。
「多忙過ぎなんだ。あいつはいつも」
 明石のつぶやきに誰もがうなずいた。沈黙。それ以上なにも語りようがなかった。
「あ、わり、俺、帰るわ。朝一で結婚式の髪やらないとなんだ」
「葬儀でないのか」
「お得意さんで……親族の女性陣全部やって、っていわれてんだよ。ちいさいうちじゃ、総出でやらないと間に合わない」
 時計を何気なく見た木村が慌てた声で宣言する。明石の呆れた顔に苦笑を返す。事情が事情のような気がする。複数もいる客を無碍にするよりは、いいのかもしれない。
「俺も帰るよ。追い込みでさ、明日提出なんだ」
 木村のばつの悪そうな態度の横から割るように入ってきて、大野がいう。ソフト会社のチーフという話は聞いているから、多忙だろう。自分のことだけではなく部下回りのことも気を配らねばなるまい。
「お疲れ」
 忙しなく去っていく。二人の後ろ姿を眺めながら、ため息をついた。焼香を済ませ、亮太と明石の脇をささやかに去っていく。
「亮太、お前、このあとどうするんだ?」
「あ、ああ、どうするかな……。葬儀にはでるつもりで荷物を全部抱えて来ちゃったからなぁ。ホテルがとれるといいけど」
「ああ、ちょうどいいちょうどいい、俺、もう部屋をとってるからさ、いやになるよ。シングルじゃなくてツインならありますけど。だって」
 おそらくホテルのフロントの真似なのだろう。茶化すように声音を変えて演じる明石に亮太は笑う。少し悩むが、彼も一人きりで泊まるのにツインの代金を払うのはもったいないだろう。こちらも探さなくていい分、助かる。
「じゃあ、甘えさせてもらおう」
「こっちもありがたい」
 二人で斎場をあとにした。

 ツインといえど、ビジネスホテルの広さはたかが知れている。予想通りの狭さにため息を漏らしながら、亮太は自分よりひとまわりは縦にも横にも大きい明石の方を見てまだマシだと思い直した。
「あーっ! 窮屈だよなー」
 明石は早速、スーツを脱ぐと小さなベッドに大きな身体を横たえてごろついた。それを見ながら亮太は自分も背広を脱ぎ、ついでにポケットに入れっぱなしだったものを取りだした。財布にハンカチとケータイ。そういえばと開いて着信をチェックすると秋人からの不在着信に気づいた。
「あっ!」
「どうした……?」
 どうやら半分ほど、うとうとしていたようで明石がぼやけた声を出す。それよりも亮太は慌ててしまった。今日、来るというメールをもらっていたところだったのだ。
「ち、ちょっと電話してくる」
 ケータイを片手に慌ててユニットバスの中へ閉じ籠もる。一瞬、逡巡するものの深く考えるのは止めた。明石になにかいわれたらどう考えようと思ったのだが、そんなことよりも話すのが第一だろう。コール音は数回で、すぐに通話した。
「あ、亮太さん? 家にいなかったから……留守かなって」
「いや、ごめん。突然、お通夜にでなくちゃいけなくなってね……」
 ほんの少しの沈黙に身じろぎしているのか、ごそつく音がする。首を傾げて彼の返事を待っていると物音の中に門扉を開ける音がしていた。どうやら家に向かっていたらしい。
「……大丈夫ですか?」
「……ん? ああ、明日の夕方には帰るよ?」
「いえ、その……大丈夫ならいいんですけど」
「あ、明日の予定次第でいいんだけれど、今日留守番していてくれないかな……。一応、鍵は閉めたと思うんだけど」
「……あー、わかりました。洗濯物、入れておきますね」
 いわれて気づいて頭を掻く。珍しく早起きしたからと洗濯物を干していったのをすっかり失念していた。
「うん。お願いしていいかな」
「かまいませんよ。……ちょっと明日は図書館に行きたかったんです。こっちの図書館の方が勝手がわかるからちょうどいいです」
 ほんの少し笑みじみた声の秋人に亮太はどことなく苦しかった胸が緩んだ気がした。顔がほころぶ。自分の失態はとりあえず脇に置いておく。間が抜けていると思われているのだろうがそれはいいのだ。ユニットバスの縁に腰をかけ座り込む。なんとなく、声が聞いていたかった。
「明日には帰るから、帰るまでいてくれるとありがたいかな……」
「あ、はい。います。ちゃんと留守番しておきます」
「うちには連絡したの?」
「来るときに親に泊まるってきました。……どこへ? とはいわれなかったんでちゃんとは、いってないんですけど」
 気恥ずかしさとどことなく感じる罪悪感。秋人の両親は亮太と二人の関係を知らない。家出をしていた秋人を保護し、二人で過ごすうちに、頑なに亡くした家族のことを考えないようにしていた亮太を前に向けてくれた。秋人から思っていた以上の好意を告げられ、そういう仲になった。流されたような状況だが、気持ちの上に後悔はない。とはいえ、自分と秋人の歳の差となにより同性同士であることにおおっぴらにしていいとは思えなかった。故に、彼はうちに来るときは家族に些細な嘘や誤魔化しをせざるを得ない。
 時折、よぎるのはこんな状況でいいのかという想い。亮太は彼の両親には会えない。家出を保護し、彼を両親のもとに帰した今は本来ならば二度と会わないはずの人間だ。だが、それを理由に関係を切り離すには気持ちが大きすぎた。自分の子どもでも不思議ではない歳の差なのに、秋人に対して感じているのは恋人を思うのと同じ気持ちだ。年甲斐もなく離したくないと感じている。
「すまないね」
「いいえ。……急なことですから、お葬式とかそういうのは」
 亮太はそういう意味でいったわけではないのだが、秋人は行き違いになったことに対しての言葉と受け取ったようだった。明確にはいわない。ずるいとは思うが亮太なりのわがままだった。この抱えてる感情をいってしまえば、どうにかせざるを得なくなる。逃げであるとわかっていても後回しにしたい課題だった。
「うん。そうだね……亡くなったのは大学のときの同級生でね。たまに会ってたりしてたんだけれど……急にね」
「……そうなんですか。あの」
「まだ、若いとは思うんだけれど。自分と違って忙しい人だったから」
 秋人が押し黙り、ふっと我に返った。まったく関係のない秋人になにをいっているのだろう。愚痴るようなもの言いに気づいて亮太は話を区切った。
「ああ、ごめん。留守番、頼むね」
「え? あ、はい。あの、無理しないでください」
「……うん。大丈夫だよ」
「なら、いいんですけど、じゃあ、明日」
 ぷつりと回線の切れる音がして、亮太は耳に当てていたケータイを離した。しばらく迫るような低さの天井を眺める。風邪を引いたときの怠さのような、なんともいえない気分にぼっとしていると、唐突にドアが叩かれた。
「おいー。とりあえず、飯食いに行かないか?」
「あ、ああ。今行く」
 明石の呼びかけに亮太は腰掛けていた縁から立ち上がると外へでた。ホテルの狭苦しい部屋ではあまり空気感が変わらず。息苦しい。そこに大きなガタイの明石がいて思わずのけぞった。
「結構、長い電話だったな」
「ああ、ちょっとね。慌ててでてきたものだから」
 声が聞けたせいか、ふと浮かんだ秋人の姿に笑みが零れてしまった。明石が怪訝そうに顔を傾げたので慌てて背広の上着をとりに脇をすり抜けて部屋の奥へ行った。彼は声をかけることもなく、背広を着込んだ亮太を待っていた。