Novel

TOP > ノベル > 頂き物 > 短編 > 両目の始まり

両目の始まり

 左眼一族はとても優秀な一族だったが、それも昔の話。長野の盆地に住処を移し、どこの馬の骨かと口々に言われてしまう、そんな家柄に落ちた。それが悪いかどうかはこれからを生きる人によるところが大きいだろうから多くを語らない。
 ヒダリメと言えば東北では知らぬ者がいないほどの一族であった。ただ、誤解を招かぬ為にも言うが、決して名家という格式の高い一族ではなかったことを付け加えさせていただく。
 昭和三十年の長野。左眼雄一は十三歳。筆を持つ手は拙くも、刀を持てば一族の長をも超える達人の域であった。訓練の賜物とはよく言ったものだが雄一のそれは左眼一族の歴史から察するに才能といえるが、自身はその言い方が嫌いで刀を教えてくれた母親に訂正をお願いするほどであった。それで一族の中では刀との相性が一番いいとそういうことで収まったのだという。

 そうこうしているうちに時は経ち、仕事をしていた父親が病に倒れると雄一に仕事が回ってきた。昭和三十五年、高度経済成長の煽りで幼なじみ達が東京へと就職していく中、盆地を出て、初めての仕事は京都だった。
 絶対に悪者だけを斬るという雄一が持つ主義は一族の仕事をするものとして認められていた。だからこそ時間を掛け、調べ上げた上で斬りに行った。
 斬るつもりで斬り、人を斬っている衝撃は葛藤へと誘った。しかし、斬り終えてしまうとその為に蓄えていた怒りなどの感情は簡単に霧散したという。仕事を終えたその足で報酬を受け取りにいく余裕を持ち、十万円という額に納得し懐にしまうと次の仕事に向かったという。それから雄一は家業を淡々とこなしていった。

 何度目かの仕事先であった東京で右目真琴という女に出会うことになる。彼女は下町で麻袋に包まり道路で寝ていた。普段なら声など掛けない雄一がその日に限って声を掛けた。それが二人の始まりであった。
「何をしている?」
 起き上がった真琴の髪は伸びきっており絡まっていて、色を識別するには難しいほど埃を被っていた。服はぼろでようやく見えた顔で二十後半くらいだとわかる。しかし、東京に訪れたのは雪も降りそうな静かな冬の日だったが全く寒がる様子もないことが気になりはしたものの依頼人を待たせている事もあって詳らかにすることなく、小銭袋に入っていた全ての小銭、八十五円を渡してその場を後にしたのだが、その女の正体はその日に泊まった東京の宿で知ることとなる。

 夜、金具の音で目が覚めた。月の明かりも無くただ暗いだけの部屋に気配が一つ。すぐに先程の女だとわかった。
「八十五円で銃は買えないだろう?」
 少し、無言の間があって女の声で空気が揺れる。
「買えないねぇ」
「殺し屋なのかよっ」
 言い放って枕元に置いてあった刀を持って気配に向かって振った。袋に入ったままだったが相手の持つ銃にぶつかって鈍い金属音が漏れ、同時に白く光ると破裂音が鳴った。 耳をつんざくような音を受けて、初見で同業者だと気付かなかった自分を恥じると同時に相手の腕前を素直に認めた。
「撃ちやがったな」
「撃たせたんでしょうが」
 すぐに人が来るのは目に見えているがそれでも簡単に退くわけにはいかなかった。雄一は素早く立ち上がり足の指の間に刀を包んでいた布と鞘を挟むと一気に引き抜く。それで辺りの空気が急激に冴えた。
「お前、震えてるな?」
 伝わる空気を感じて雄一が言った。
「実はね。寒さも好きだけど、こういう空気はもっと好きなんだ」
 そういうわけで震えているのかと、納得する余裕があるわけもなく、階段を上がってくる音に眉を顰めて鼻息を漏らした。
「なあ、あんた。名前は何てぇの?」
 笑いを堪えているようにも聞こえる、震えた声だった。
「俺の名は左眼雄一」
 焦りがそうさせたのか、面倒そうな調子になっていた。
「私は右目真琴」
 足音が次第に近付いてくる。音はそれほど大きくならないが気配はゆっくりと近付いていた。
「あんたの名前なんてどうでもいいが、人がくるな」
「このままじゃまずいわねぇ。私と組むなら、この場から逃げてもいいわよ」
 真琴の落ち着いた声を聞いて舌打ちすると暗闇の中で目を瞑った。扉を開けられたら手には抜き身の刀があるのを見られてしまう。鳴った音が銃声だとわからなくても尋常ではないことぐらいはきっとわかったはずで捕まれば簡単には済まないだろう。
 迷った。もう今までどおりというわけにはいかない気がしていたのだ。人生の分岐点である。ここで捕まるか、真琴と共に逃げるか。

 部屋に近付いていた足音は扉の前で止まり、
「失礼致します!」
 そういう声と共に扉は開けられた。それと同時に冷たい風が通路に吹き込んだ。
「お客様?」
 声は空しく、誰にも届かなかった。開け放たれた窓から風が入り、カーテンを揺らすとその先に暗い空を覗かせた。
 暗闇に飛び出した二人はどこにいったのか、雪の降り始めた東京は朝が来るまでずっと静かなままだった。

 その後、平成元年の話になるが、右手に銃を持ち、左手に刀を持つ少年がとある組織を壊滅に追い込んだということだが、その者はその組織の構成員に対し、自分は両目の子と名乗ったそうである。

了。